601.父の7回忌と夫の6年

9月22日(日)父の命日に7回忌法要をしました。

小さな城下町の中のお寺に、親族が集まりました。

6年前、2013年9月22日 お彼岸に父が旅立ちました。

6年前の夫は·····
ブログに記録が「父の死と夫」と題して残っていました。
https://2212-2931.at.webry.info/201310/article_1.html
お彼岸で夫のきょうだいとのお墓参りの帰りでした。
私には、その時がわかっていましたが、夫の予定変更はできませんでした。

このころ、すでに重症な段階であるという認識がありませんでした。
まだ、普通、ではないにしろ何とか生活していると思っていました。

診断から4年。
夫は葬儀参列どころではありませんでした。
急な予定変更が受け入れられず、困りました。
ケアマネが決まっただけで支援に繋がっていませんでした。
夫の兄、姉夫婦のお世話になりました。
感謝しています。

白い布団の父も目に入らず、携帯の充電をしようとして、驚きました!

姉の家で夜散歩に出て困らせました。

この後から、デイサービスを利用しようとしましたが、なかなか上手く行きませんでした。
このころ、まだ私に「介護している」という自覚もないまま、夫は線路に入って保護される等問題行動が多発しました。
翌年、急に進行して、
精神病院入院を勧められる状況の中、「奇跡の発表会」でフルート演奏。

夫のきょうだいの協力のお陰で、私は友人7人とスイスへ記念旅行もできました。
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スイスまでコンビニの定員さんから支払い不足の連絡が入りました。
精神病院入院を考える程の状態の夫を託しての海外旅行。
直前に、手の骨折もあって、突然、失禁が始まっていました。
ほんとうに、夫のきょうだいご夫婦には、感謝しています。

2014年
父の1周忌は、夫の兄夫婦が我が家に泊まって世話をしてくれました。
http://2212-2931.at.webry.info/201409/article_5.html
この頃は、ますます言葉が通じない上、自分勝手な行動もパワーアップ、失禁もあって、さらに大変だったと思います。
お世話になりました。

診断から5年。
2014年10月に、私の入院をきっかけに、夫は精神病院に医療保護入院となりました。

2013年に父が亡くなった年から2014年の入院までは、とても変化が大きかったようです。
捜索願いや通報はあっても、訴えられる事もなく、事故にも合わず、良く無事だったと思います。
エピソードは、たくさんあります。

入院する頃には、病気の進行もあって、行動もいくらかは鈍くなっていたようにも思います。

2015年
父の3周忌は8月、夏休みでした。
命日9月22日には思い出してブログを書いています。
http://2212-2931.at.webry.info/201509/article_5.html
入院が長くなって、療養型病院に転院していました。

精神病院での生活も、とても長く感じられましたが、合計1年1ヶ月でした。

2015年12月に退院して、在宅介護開始。
小規模多機能と老健と1ヶ月交替で、という提案でしたが、
孫の保育の為、老健に2016年3月まで3ヶ月入所。

2016年3月末から2018年2月まで約2年、
小規模多機能を利用させていただきました。
通所も泊まりも訪問も、時にはリハビリ指導もお世話になりました。

急な歩行困難と急な嚥下困難、身体的な急激な衰え。
「意味性認知症(SD)」でこの症状?
別の医師に「進行性核上性麻痺(PSP)」という診断をいただきました。
脳の神経性難病であることに変わりありません。
分類がはっきりせず、診断名に過ぎない、と思っています。
「前頭側頭葉変成症(FTLD)」という括りにもなります。
進行性の不治の病、難病です。
急激な身体症状もPSPなら納得です。

2017年4月に「胃ろう」にしました。

2018年の大雪の雪かきで腱鞘炎になった事で一区切り。
夫は、市内の「特別養護老人ホーム」へ入所しました。
入所して1年半。
早いように思います。

安定した生活に感謝です。

2019年
父の7回忌に、夫の6年を振り返りました。

時の流れは、平等なはずなのに長く感じられたり、短く感じたりします。
「もうすぐ小学生」だった孫は「もうすぐ中学生」
孫の数も増えました。


6年は、これくらいの時間?

夫の姿は変化しましたが、特養で手厚い介護看護を受け、穏やかです。
有り難いです。

600.特養の音楽療法と夫

毎週火曜日の10時40分頃から、音楽療法があります。

夫の「ケアプラン」では「音楽療法参加」になっていますが、
私が行くまで寝かされている日も多く、私が行かれない日は、どうなのか?

遅れてでも参加させていただいているようです。
私もなるべく参加したいと思っています。


音楽療法
キーボードの伴奏に合わせて、マイクを持って順番に歌っています。
夫は、歌えません。

曲によって、反応する時もあります。
どうにも古ーい古い曲は、反応なしです。

古い曲も繰り返すと、だいぶ覚えて来ましたが、
今回は「え?いつの曲?」と聴いたこともない曲を皆さんで歌っていました。

夫より若い方が、ひとりいて、やっぱりキョトンとなさっていました。

少し年代の差を感じる時間です。
その若い方の好きな「翼をください」は、
他の皆さんには、馴染みのない曲のようです。

なるべく皆さんに楽しんで参加してもらいたいと
音楽療法の先生も曲を選んで、歌詞の用意もしているようです。

夫は、先生の動きを目で追ったり、話しかけられると
じっと先生を見つめていました。
毎週同じように声をかけていただくので、わかっているようにも見えます。

毎月、コンサートも開かれます。

生の演奏は、音に反応するのか泣きそうな顔で反応します。
わたしも今月月末のコンサートを楽しみにしています。

599.孫と新潟へ

夫が特養で落ち着いているので安心して出かけられます。
在宅の頃のように、宿泊のお願いに頭を悩ませる必要がないのは有り難いです。


3番孫との約束があった事、
22日の法事の前に準備の確認をしたかった事、
ついでに、敬老の日でもある事

等、理由をつけて、9月14日から16日、新潟の実家へ孫と一緒に行って来ました。

一番の目的は、3番孫との初めての旅でした。

孫は、日頃、車での移動ばかりで電車もバスも経験がほとんどありません。

前回は、直前に迷子の恐怖でキャンセルしてしまいました。

今回は、張り切っていました。
初めて新幹線に乗りました。

4歳の男の子。
親兄弟と離れての初めての旅は、楽しかったようです。

「お弁当を買って新幹線で食べたい」
「水族館に行きたい」
という希望も叶えられました。

何よりも、私の母「新潟のおばあちゃん」が喜んでくれた事が良かったです。
「ひとりで良く来たね」と何回も褒められていました。
3番孫は、いろいろ子どもらしい発言で笑わせていました。
会話も微笑ましいものでした。


短い時間に、法事の準備の話もできました。
まだまだ母は元気です。

こんなに喜ぶなら、また孫を連れて行きたいと思ったり、
一緒に暮らすことも可能ではないかと思ったりしています。


有り難い事です。

598. 風邪 (私です)

珍しく風邪を引きました。
もう治ります。

いつも、「来たかな?」という段階で追い出して
「私、風邪は引きません」と強がりを言っていましたが、
今年、もう2度目の風邪です。

1回目は、スイスから帰ってすぐ。
そして、今回、新潟に孫と行った後からです。

軽い喉の痛み
この段階でひどくならないで治る予定でした。
治ったかのようにも思えたのです。

反省しました。

体力が落ちています。
免疫力が落ちています。

運動不足です。

もうひとつ。

水分不足です。

気がつくのが遅かったです。

5日つくしの会の役員会の最中、咳が止まらなくて心配をかけてしまいました。

前の晩、寝てから咳が出ていました。
ゲホゲホッッと意志に反して強い咳が出て、息ができないほど。

一瞬、呼吸が苦しく「風邪も大変なもんだ」と変に感心しました。
「高齢者や体の弱っている人は、このまま息ができなくなるかな?」
と、ちょっとだけ思いました。
私も今年から高齢者です。

台風による気圧の変化も関係しているかもしれません。


役員会の後は、寄り道をせずまっすぐ家へ帰って安静にしていました。

隣に娘がいて、夕飯を作ってもらえるので助かります。
「顔色悪いよ。」と言われてしまいました。
どこかの景品でもらったという子供用の栄養ドリンクを出してくれました。

家にあって飲んでいなかったサプリメントも飲みました。
水分も取って、早く、たぶん早く寝たと思います。

翌日からは、快方に向かっています。

夫が特養にいるので、こういう時も安心です。
在宅なら無理をしてしまうかもしれません。
そもそも風邪を引いていられなかったです。



「安静に」をいいことに、何もせず、いろいろなブログを読んでいました。

ゆっくり体を休ませ自然治癒です。

元気回復です。\(^_^)/


体力を維持するために、もう少し体を動かそうと思いました。




597. 通院日

9月5日(木)は、久しぶりの神経内科の通院日でした。

特養の事務所に保険証や医療証など一式を預けてあります。
事前に声をかけて確認の必要があります。

少し前に「受診届け」のような用紙を記入して、ケアマネさんにお話をして、前日にも確認しました。

準備の時間の都合もありますので、介護スタッフにも出発時間をお話しました。
看護師さんにも、胃ろうの事があるのでお話しました。

久しぶりに、私の福祉車両の出番です。
夏の間、暑かったこともあって車に乗せていませんでした。

久しぶりのドライブ🎶🚗💨🎶喜んでいたのか、声が出ていました。

久しぶりの病院は、駐車場が満車でした。
列に並んで、誘導の係の方に「正面で車椅子の人を降ろしたいのですが」というと「また最後尾並んでいただきますよ」というのです。
「どうしたらいいのですか?」と困って聞きました。
「ここで降ろしていいですよ」というので、びっくりです。
「いいのかな~?」と思いましたが、係の人がいいというのですから即実行です。
後ろに並ぶ車を少し気にしながらも、急いで急いで、といっても、スロープを降ろして、いろいろ装置があって慌てました。
でも、いつもこの作業の私、カッコいいと自分で思っています。(^-^)/
大急ぎで走って夫を通路まで連れて行きました。
「あ、そうか、待っていられますか?」と係の方。
「待たせます」仕方ないです。
駐車場に車を入れるまで、夫は不満顔?で待っていました。
立ち上がる事もできないので、そのままでした。

駐車場が混んでいる日は、診察も会計も混んでいて時間がかかりました。

久しぶりの受診だったので、最初のカード受付も窓口に行く必要がありました。


久しぶりの診察。
治療は、特にありません。
夫に胃ろうを勧めてくださって以来、あの入院以来診ていただいている先生です。
最初の先生は、定年退職なさって、違う先生に引き継がれる予定だった所を私がお願いしました。
夫もお気に入りの先生です。

指定難病や障害手帳等の診断書を書いていただくために、定期的に診ていただいています。

前回は、入院中にお会いしていたので通院日を予定より先に伸ばしていただきました。

前々から「私、変わるかもしれませんので」とおっしゃっていましたが、今回も「あまり先になると引き継ぎが困るので」とおっしゃって、次回は12月になりました。

夫は、先生の手を左手でしっかり握りました。❤
右手は握る力もなくなっています。
夫の手を握ったままパソコンを打ち込んでいた先生。
「エリキュースは止めましたよね」
と、私が言い忘れた事も確認されました。
特養の先生に「止めましょう」と言っていただいて止めた事を報告しました。

「また来てくださいね」と夫に声をかけていただいて終わりになりました。


会計は、電光掲示板ではなく、窓口で番号を呼ばれます。
時間がかかるのは、いつもですが、今回はいつもより遅くて、遅い番号が次々呼ばれていました。

恐る恐る「あの~この番号で待っているのですが~」というと
「これは電光掲示板で、もうとっくに出ていますよ。」というのです。
「え?マル障でもですか?」というと、やっと調べていただけました。

難病のノートを出さなかった事が原因だったようです。
「毎回、必ず出してください。」と、まるで私が悪いように言われたので、
「毎回、『出してください。』と言われるのに、今回は言われなかったですぅ😡」と言いました。😠
ほんとにそうなのです。
マル障で無料になって、必要ないかと思ったのです。
「自立支援は?」と聞かれたので「マル障が使えますので更新していません」と答えました。

「遅くなってすみませんでした」と素早く処理していただけました。
怒りません、私。

でも、次からは黙って待っていないで、早く聞こうと思いました。


思ったより時間がかかったので、まっすぐ特養へ戻りました。


夫は、特養の自分のベッドが一番安心できるようです。
胃ろう注入に来た担当看護師さんに「疲れたよ」といういうに訴えるような顔をしていました。