夫が逝った日 その2

17日は、阪神・淡路大震災の日
皆に、忘れられない日になりました。

日曜日でしたので、娘が動ける日で良かったです。
15日に呼び出された時も金曜の夜11時30分という遅い時間。
子供達も寝て、旦那様も家にいたので、すぐに面会に行かれ、翌日は仕事も休みの土曜日でした。

主治医のいない土日は、不安でしたが、対応はとても良かったです。

「何時に来られますか?慌てなくて大丈夫ですよ。」
と面会をさせていただいて、「明日退院ですね。」と家族の気持ちに寄り添ってくださいました。

15日の「駐車場で待ちますか?」という緊迫した雰囲気はなく安心してしまいました。

これで良かったのだと思います。

17日 15時58分 死亡確認の後は、やることがたくさんです。
少しだけ泣いている時間もくださいました。


「葬儀社は決まっていますか?」
「はい。」

病院内では、特定の葬儀社が入っていて、病棟から霊安室までの移動はするので、その時間に合わせて寝台車の手配をしなくてはなりません。

12月に熱を出した時、思い切って葬儀相談センターに相談に行っていました。
例え、何年か先でも必ずその時は来る、と、準備しました。
見積もりもいただいて決めておいたので、慌てることなく連絡できて良かったです。

病室で電話連絡しつつ、姉と娘には夫に着せるパジャマを買いに行ってもらいました。
退院時の用意はしていましたが、自宅に置いたままでした。
翌日になって「着てきたスウェットシャツとズボンがありました。すみません。」とご丁寧に電話がありました。
面会をさせていただいた感謝を伝えることができて良かったです。

菩提寺住職に電話をして、遠くまで来ていただけるか確認。
日程日時については、葬儀社さんからお寺に直接連絡していただきました。

公営の火葬場隣接の葬儀場は、混み合っていて、葬儀は9日先の26日になりました。

17時30分 病棟から夫と霊安室へ向かい、少しの間安置されました。
看護師、医師の礼拝を受け、葬儀社に引き継がれました。

霊柩車に夫と私が乗り、娘達は、駐車場まで案内されて車で帰ってきました。


夫は家に帰って来て、用意した介護ベッドに寝かされました。
顎が外れて、口が開いたままなのを娘がとても気にしていましたので、マスクをしてあげました。

穏やかな顔で夫は眠っていました。

葬儀社の方が、お布団やお参り用机セット、お花など全て用意してくださっていました。
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葬儀の相談も簡単に済ませることができました。

この日の夕食を覚えていません。
お姉さんがいろいろ持ってきてくださって、いただいたはずなのに、自分で前日煮たブリ大根しか記憶にありません。
美味しくいただいたはずなのに、ごめんなさい。

お姉さんとたくさんお話しました。
夫が生まれて命名の時の話は、印象的でした。
お寺で男性だけが車座になって、父親もその中にいて、赤ん坊を「○○だ、いい名前だ」といいながら回すのだそうです。
それを4歳上の姉は、節穴からのぞき見していたのだそうです。

他にもいろいろお話しました。
弟に先に逝かれて、どんなにか悲しいことでしょうか、計り知れません。

何時ごろ、寝たのか眠れませんでした。
夫が同じ部屋で寝ているはずなのに、人の気配が何もなく空気が軽く感じ、あまりにも静かでした。
愛犬のイビキだけが聞こえました。
「人の気配がない」と大発見のように、朝、皆に報告しました。

当たり前かもしれませんが、「もう、いない」と実感しました。
残された肉体には、何も残っていない・・・・。
静かに寝ていても生きている人は人。その気配が全然ない。
初めての経験でした。

夫は、もう、いない。

不思議な感覚でした。
肉体には、もう、夫の気配はない、というだけです。

軽くなった? まるで、夫がどこか漂うとか浮いている、とも違う・・・
言葉で表現できません。

別世界へ旅立った ・・・??


夫が逝った日

1月17日(日)
夫の姉夫婦が、18日の退院に向けて泊まりがけで来ることになっていました。
暫く家に泊まってくださると聞いて心強く思いました。

来ていただけるなら、ぜひ面会させてもらおうと作戦を考えていました。

家に来る前に病院の駐車場で待ち合わせをして、そこから強引に面会をお願いしてみようと思っていたのです。
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10時ころ、病院から電話があって、急がないが希望があれば面会できる、という伝言でした。
大喜びです。

「慌てなくて大丈夫です。」という言葉も真に受けていました。

「13時」とお願いしました。

土日なら面会できるという夫の兄にも連絡して来てもらいました。

姉夫婦、兄、娘と私で面会。
「6西」と受付に言うだけで通して貰えました。
特殊な病棟であることがわかりました。6階西病棟です。

病棟のインターフォンを鳴らしても「お待ちください」となかなか中に入れて貰えません。
何かあったのではないかと不安になっていると、娘が「感染者の方が通ると消毒に時間がかかるからじゃない?」と珍しく冷静でした。

「生きていますように!」と祈るような気持ちでした。

面会は、密にならないように、3人、2人と分かれました。
まだ面会していない兄、姉夫婦に先に行ってもらいました。
防護服等は今回は無し。(不足している?)

娘と2人で面会。
夫は目を開けていました。
耳元で「明日帰るよ。頑張って!」と話しかけました。
15日に会った時より、落ち着いているかのように見えました。

早くなった呼吸が落ち着いてゆっくりになって、やがて・・・・ということを知っていたはずなのに、この時はそう思いませんでした。
酸素濃度の値も良く「よっ!100点!スゴイ!」と褒めると頑張って数値を上げていたようです。

看護師さんも
「お家に帰りたくて頑張っているようですよ。」と仰っていました。
もう1日、と祈っていました。
どこかで、「明日までは・・・・・」というネガティブな気持ちもありましたが、まさかまさかでした。


面会が終わって、安心して自宅に戻って、兄も電車で戻っている頃でした。

お茶を入れていると、娘が
「お母さん、行くよ!」と来たので、びっくり・・・

私は、病院からの電話にも気がついていませんでした。

娘の行動の早いこと!
必死で車に乗り込み「叔母ちゃん達も~」と、バックして乗って貰いました。


病室には、テレビで見るシーンのように、一直線になってツーといって0を示している画面がありました。
さっき見たばかりの夫とは違う姿がありました。

医師が来て、死亡確認をしました。
令和3年1月17日 15時58分 死亡確認

「良く頑張ったね。お家帰ろうね。」


と、ここまで書いて、あまりにもリアルではないかと気になり始めました。

気になっても、あまり変わらないので、気にしながらも次へ続きます。

心より感謝申し上げます

心を寄せてくださった皆様、ほんとうにありがとうございます。
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26日 無事葬儀、初七日を済ませることができました。
夫は、家に戻ってきました。
ワインを片手に笑顔の夫です。
とても静かです。

落ち着いたら、記録に残したい、皆様にお礼を申し上げたい、と思いながら遅くなってしまいました。

ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。

記録は、書き残したいと思います。

さくらさんの真似をして、おひとりおひとりにお礼の言葉を、と思いましたが、とてもとても真似できることではないとパワー不足を感じています。
momoさんの真似ができたのは、「最期の在宅」という言葉だけでした。
真似ができなくて残念でした。

ブログの先輩方々には、ほんとうに感謝しております。

そして、ブログを通じて知り合った仲間の皆様。
ほんとうに心強く思います。
ブログを読んでいただけることで、どれだけ励みになったことか・・・・。
ありがとうございます。

若年性認知症家族会彩星の会の皆様。
前頭側頭葉変性症つくしの会の皆様。

暖かいお気持ちは、届いております。
ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。

ブログは、もう少し続けます。
もう少し、お付き合いください。
どうぞよろしくお願い致します。

旅立ち

1月17日 午後3時58分 夫は、旅立ちました。

皆様の祈り、お気持ちは届いておりました。

兄、姉夫婦、娘と最後の面会をして、安心したのか、その後のことでした。

詳しくは、落ち着きましたら報告させていただきます。

ありがとうございました。
   
夫は、1日早く家に帰って来ました。

介護ベッドで眠っています。

安心したような顔で眠っています。

最期の在宅に向けて

16日㈯ 春のような暖かい日でした。

昨夜、朝まで電話がない事を信じて、眠りました。
少しでも寝ておかなければ、と横になるとぐっすり寝て朝になっていました。

娘も同じだったようです。朝早く目が覚めたそうです。

介護ベッドが搬入されました。

ソファーベッドを移動したつもりでしたが、思ったより場所を取ってしまい、業者の方が置き方を変えた方がいい、と動かしてくださいました。
重たいエレクトーンも、二人で動かし、テーブルや椅子も動かし、ほんとうに有難かったです。
私は、掃除機を持ってウロウロ邪魔にならにようにしていました。

介護ベッドは、進化しているようです。
3モーターです。
エアーマットは、体位交換をしなくても良いように、時間で向きを変えたり、褥瘡防止のためいろいろな仕組みがありました。
温めもできるようです。
夫が帰ってくるまで、私が寝てみます。

夫の状態については、特に連絡は今のところありません。

「がんばれ!がんばれ!」とずっと頑張ってもらっています。

特養に吸引機を取りに行ってきました。
持ち込んだワゴンに、口腔ケアグッズも乗って用意されていました。

ケアマネさんに経過をお話すると、「ちょっと待ってください。」と看護師さんを呼んできました。

ずっと担当だった年配の看護師さんの顔を見た途端、泣きそうになってしまいました。
看護師さんは、今までの特養での経過、「顎が外れたままというのは、良くなかった。」とか「痰のからみは、肺の下の方に溜っている感じがしていた。」など、振り返ってお話されました。
私は、完璧な医療を望んだわけではなく、特養での穏やかな看取りをずっと考えてきたこと、コロナでなかったら、等お話しました。

「奥さんも体に気を付けてね。」と仰るので「いつも、こうやって私の体まで気使ってくださるんですよ。」とケアマネさんや、新しい相談員さんに言うと看護師さんが泣き出しそうになってしまいました。

退所の手続きは、担当相談員さんのいる18日にします。

住所変更が必要です。
特養入所のまま介護保険でベッド等に使えません。

ベッドの業者さんに、「その場合は自費になります。」と説明も受けました。
1か月17000円くらい。介護保険1割で1700円の負担です。

ベッドが届いて安心しましたが、あらあら、シーツ、かけ布団、枕、パジャマ・・・必要な物を忘れていました。

訪看さんからは、「週何日くらい?」等電話でいろいろ聞かれました。
当分は、毎日来て様子を見ていただきたいとお話しました。
難しそうですが、なんとか手配してくださるそうです。
夫の状況もお話して、看取りの場合、24時間いつでも来てくださると聞いて安心しました。

民間救急車で家まで搬送していただきますが、移動中であっても病院へは戻ることはできません。

無事、家へ帰れるよう祈っています。

もう少しがんばってもらいます。

なんとか1日過ぎました。

防護服で面会

15日、退院を決意して在宅に向けて忙しく準備していました。

ソファーベッドの移動も完了して、パソコンに向かっていると電話が鳴りました。

病院からです。

病棟看護師からでしたので、すぐわかりました。

呼吸が早くなって、血圧が下がっている。希望があれば特別に面会できる。
という内容でした。
防護服着用、30分以内という条件がありました。

「何分くらいで来られますか?」
「15分くらいです。娘も一緒でいいですか?」
「はい、お二人ですね。」と聞いて、大急ぎで隣の娘に連絡をして向かいました。

通い慣れた道ですが、暗かったので一つ手前の信号で曲がってしまいました。
ちょうど、裏の救急入り口から入らせていただきました。

病院内は、6西と聞いただけでも、慣れた場所ですのですぐわかって良かったです。

インターホンで病棟に入れていただき、案内されました。
手袋、防護エプロン、フェースシールド、帽子、で病室へ。

夫は、個室に寝ていました。

娘と二人で、「会えて良かった」と話かけました。
酸素マスクをして、目を閉じていました。
自力で目は開けられませんが、そっと開けてあげると、うっすら開けているような目をしました。
手を握ったり、あちこちさすったりしながら、時々止まるような呼吸に、「ちゃんと息して」といい、「18日までがんばって」と夫の顔を見ながら言い続けました。

きっと、耳は聞こえていると思います。

看護師さんが途中で来られて、「拭いて差し上げてください」と温めたおしぼりを渡してくれました。
30分以上の時間、面会させていただきました。

「奥さんと娘さん来られて良かったですね。」と夫に話しかけてくださいました。

後で、「ご家族が来られたので、夕方より反応がいいです。」と言っていただけました。
血圧は、1時間ごとに測って、徐々に下がっているとのこと。
脈が正常に動いているが、この後の急変も有り得る。
院内に待っている場所はないが、車で待つか、家に帰るか、連絡はした方がいいか、など聞かれました。

自宅で連絡を待つことにして、帰ってきました。

入院6日目 退院を決意

退院することに決めました。

誤嚥性肺炎の治療をして回復して退院、というコースには、やっぱりなりませんでした。
予測していたことです。
12月に熱を出した頃から考えていたことでした。

1月15日㈮ 入院6日目
朝、主治医の先生から電話がありました。

昨日まで、目を開いていたが、目を開けず反応がない。
CTで右大脳に脳梗塞が見られる。
幸い、全体に脳の萎縮があるため、膨張することなく、命を落とすこともなかった。

誤嚥性肺炎の状態も良くない。
緑膿菌が見つかったので、抗生剤を変えて投与しているが、耐性菌ができて効かなくなることも今後有り得る。
胃ろうからの栄養は、体の負担になるので入れられない。

だいたい、このような病状報告でした。

お話を聞きながら、私の退院への気持ちが明らかになりました。
「家に連れて帰ることはできますか?」と聞くと
「環境が整えば可能です。」と、痰の吸引、点滴、酸素ができれば在宅も可能であることを教えていただけました。
在宅医療の経験があったので、訪問診療、訪問看護もすぐお願いできることをお話すると
「いつ、退院しますか?退院連携室に連絡します。紹介状も用意します。」
と、その方向で、とんとんと話が進み、慌てて
「私の今の気持ちですが、家族の意向も聞いて変わるかもしれません。」と戻れるようにお話しました。

いよいよ看取りの段階です。

ここまで来たら、面会もできずに見送ることはできません。
病院で、面会できないままでは、あまりにも辛いです。
いよいよの時には、防護服を着て特別に許されると聞いていますが、それがいつなのかわかりません。
今すぐにでも行きたいのに、顔を見ることも叶いません。

「最期は家で看よう」と決めました。
残された時間が少ないのもわかりました。
急がなくてはなりません。

訪問診療の先生に電話。診察中でした。
訪問看護ステーションに電話。訪問中でした。
特養に電話。

忙しくなりました。

訪問診療の先生から、18日以降なら、退院後すぐ来てくださる、と連絡をいただきました。
すぐに、病院の先生に連絡を取り、退院日は18日に決まりました。

さあ、大変。準備です。

退院連携室の相談員さんから電話をいただきました。
介護ベッド、吸引機、酸素の用意が必要。

吸引機は購入済み。
酸素はレンタルの連絡をしてもらう。

介護ベッド・・・・
ケアマネさんを決めなくてはなりません。

訪看さんに連絡をした時、聞くと、一番初めにお世話になった事業所を上げられ、すぐに決めました。
スピーディに動いていただけて有難いです。

夕方には、在宅酸素の会社の方が設置と説明に見えました。

介護ベッド、マットは16日午前中の予定。

いよいよ、お部屋が病室になります。
孫の迎え、夕食の後、早めに帰っていただいて、大掃除をしてベッドスペースを作りました。

18日が待ち遠しい!

入院5日目 前頭側頭葉変性症つくしの会定例会

1月14日㈭ 第2木曜日は、つくしの会の定例会です。
今回は、緊急事態宣言があったので、Zoomで開催しました。
Zoomに参加できない会員さんのことを思うと早くコロナが収束して、実際に会ってお話できる日が来るよう願っています。
夫の入院や病状、今後について仲間に話し、相談に乗っていただいて心強いです。

入院5日目になるのに、まだ病院から連絡がありません。

ずっと電話を待っていられません。

午後2時過ぎになって電話してみました。

説明して、聞いているのに、事務の方が「どちらに入院されているのですか?」と聞くので、また最初から「10日から肺炎で入院しています。コロナの検査は陰性でした。その後病棟が決まるのを待っていますが連絡がありません。」と声が大きくなってしまいました。
「すみません。お調べします。」と言った後、「病棟看護師に変わります」とやっと繋いでいただけました。

〇病棟西の○○さんと名乗って、答えていただけました。

まだ病棟は決まっていないそうです。
18日くらいに、病棟が決まるので、持ち物や入院手続きはその時で良いそうです。

夫の状態をお聞きしました。
熱が時々出ているので、クーリングしているそうです。
酸素マスクはなし。
痰の吸引をしている。
手の拘縮があって、動かないが吸引の時左手が動く。
「目を開けて、私達が動くのを見ています。」
には、思わず笑って
「そうなんです。綺麗な人を精一杯見ようとします!」
というと、看護師さんも笑っていました。

口腔外科の先生が口の中を見てくださって、口腔ケアもやってくださっていると聞き安心しました。
口腔外科を受診していて良かったと思いました。

入院時とあまり変わらない様子に、安心しました。
若い看護師さんの多い病院なので、夫も目をしっかり開けてウキウキしていることでしょう。
良かった、と思うことにします。

入院4日目

10日(日)に39度の高熱で入院して4日目になりました。

レントゲンで両肺の下方に影があり炎症反応も高く、誤嚥性肺炎だと判るはずなのに、コロナの検査結果まで、コロナの疑い扱いでした。

2日目には、抗生剤が効いたのか熱も36度7分に下がって、コロナの検査も陰性だったのに、同じ施設の違うフロアーの方が発熱のため、もう1度検査になりました。

3日目には、コロナのPCRランプ法という検査で陰性。
これで、隔離から解放ですが、病室の空きなく病棟が決まらないようです。

そして、今日 4日目。
まだ何も連絡がありません。

入院手続きもまだです。
病棟が決まったら看護師さんから電話があるというので、待っていました。

何もないまま1日が過ぎてしまいました。

夫の様態、悪くなっていないかもしれませんが、寝かされたままではないかと心配です。

今後のこと、
誤嚥性肺炎を繰り返し、痰の吸引が多くなった場合どうなるか、どこまで特養でできるのかも考えています。
コロナでなければ、また違うかもしれません。

どちらにしても面会できないのは、辛いです。

入院3日目 

コロナのPCR検査は、2回目も陰性でした。

午前と午後に医師から連絡が入りました。

午前は、夫の状態、熱は下がっているとのこと。
誤嚥するため、胃ろうからの栄養は中止して点滴をしている。
抗生剤投与。
今後も誤嚥を繰り返す可能性もあるので、検査をする。
菌が見つかった場合、抗生剤を変えるなど処置が変わる。

だいたい、そのようなお話でした。
他にも、いろいろお話しました。

午後は、コロナの検査結果。
ランプ法という検査で陰性でした。

入院手続きや持ち物や病棟のことなども聞きたかったのですが、お医者様はお忙しいかと、結果を聞いただけで電話を切りました。

看護師さんからの電話が来ないので、電話して聞いて見ました。

まだ、病室の空きがないらしく、病棟が決まらないようです。
決まり次第、看護師さんから電話をいただけるそうですので、それまで待ちます。

先ずは、熱も下がって、一安心。

入院2日目

1月11日 日本海側は大雪です。

東京の成人式はコロナの影響で中止になったところも多いようです。
コロナ感染者数という数字が増えています。
緊急事態宣言発令中。それでも、なんだか規制がはっきりしていないような気もします。
それでいて、特養のような高齢者施設の面会制限だけは、中途半端に厳しいです。
すぐに面会中止になってリモート面会になりました。

夫は、9日に38度の熱を出して、すぐ下がっていたのですが、
10日にケアマネさんから、リモート面会はできないと連絡がありました。
夫の体調不良が理由でした。
「わかりました」と返事をした後、リモート面会の方法について質問しました。
具体的に、どこでどういうやり方で、と聞きました。
タブレットを使ってケアマネさんが、ユニットのエレベーターホールまで本人を連れてきて送受信するそうです。
「それでしたら、ユニットの個室でスタッフにお願いして送信できませんか?」と聞いてみました。
「いえ、感染防止のためには・・・・・」というので、
「それは、看護師さんのお考えでしょうか?具合が悪いからこそ一目でも様子を見たいのです。」というと
「そうですね。聞いて見ます。お待ちください」と一度電話を切って返事をいただきました。
結果は、個室でOKになりました。
要望を言ったことで、受け入れていただけて嬉しく思いました。
喜んでお礼をいいました。

熱が下がったことも、看護師さんの伝言でその時聞きました。

喜んでいたのも、数時間でした。

夕方には、39度の熱で、慌てた看護師さんからの電話でした。

思いがけず救急搬送。
結果的に希望した病院に入院できました。

神経内科、口腔外科で通院している病院。
2回入院している病院ですので記録も残っていました。

良かったです。

ただ、コロナの時期ですので、発熱で入院の場合検査するそうです。
肺炎の治療のため抗生剤を投与しながら、結果が出るまで、コロナを疑い診るそうです。

コロナの疑いのある人が入る病棟がどんなところなのか想像できません。
必要は書類も口頭で説明を受け同意を伝えました。
看護師さんから「お部屋に入る時、防護服を付けなくてはならないので、限られてしまいます。モニターを付けることに同意していただけますか?」等、電話で説明を受け同意しました。

PCR検査の結果は、陰性 
と午後3時過ぎに当直医師から電話がありました。
ただ、施設で高熱の人がもう一人いるため、もう1度検査をするそうです。
結果は、明日になるそうです。ガッカリです。

もう1日、コロナ扱いです。
特養にも、その旨電話でお伝えしました。

病院で命を守られています。
変調にもきっと細心の注意を払って診ていただいていると信じたいです。

コロナではないと思います。

コロナでなくても、この時期、面会もできないと思うと気が重いです。




救急搬送 入院

今日、10日 夫は入院しました。

経過です。

9日、38度3分の発熱。解熱剤、抗生剤投与の連絡を受けました。

10日、ケアマネさんからリモート面会の話のついでに、36度5分まで熱は下がったと伝言をいただきました。
明日のリモート面会も決まって一安心。


と思っていたら、夕方17時、特養から電話がありました。

39度の熱。
看護師さんの慌てている様子がわかりました。
「どうしましょうか?受診ご希望なら手配しますが、ご家族で受診になります。」
私「お願いします。すぐ行きます。」

ちょうど、なぜか非常事態を察知する能力を持つ友人から「心配してる」と電話があった直後でした。

娘に報告しながら、特養へ急ぎました。

到着すると、看護師さんは、
「救急搬送の方が受け入れが良いと思いますので、手配しました。」
というので、ロビーで救急車を待っていました。

とても時間がかかったように思います。
救急車の到着後も、搬送まで時間がかかりました。

受け入れ先が近くの病院では無いようです。
発熱患者が多いとか。

私が希望する病院は、その次に問い合わせるらしく、救急車に乗せながら電話をしていました。
「もしも、受け入れられなければ、選べませんのでそのつもりで」といわれ同意しました。

運よく、か、受け入れを拒否できない病院なのか、やっぱり運良く病院へ搬送されました。
サイレンを鳴らす救急車の中で、救急隊の方に「ご家族で熱のある方は?」とかいろいろ質問を受けました。
病院到着まで15分位、あっという間でした。

夫は目を開けて、良く見ていました。
動きのある方へ目を動かしていました。

病院では「車内待機です。」と夫は救急車の中。
「ご家族は書類作成がありますので中でお待ちください。」
と、入院関係の窓口、待合室に案内されてからが長かったです。

入院になるとは思っても、説明を受けるまでは不安でした。

かなり待たされ、看護師さんと思われる方が
「入院になります。医師から説明があります。」と言われ、それからも時間がかかりました。

コロナウィルス感染症の可能性もあると考え、結果が出る明日までは、そのように対応するそうです。
必要な物j品は、後で請求される、という説明は看護師さんから受けました。

医師からの説明は、スマホで受けました。

高熱がでていること。
レントゲンで両方の肺の下の部分に影があること。
炎症反応が出ていること。
恐らく誤嚥性肺炎と思うが、新型コロナウイルス感染症の可能性もないことはない。
コロナであるという想定で、今日はコロナ病棟へ入院。
明日の結果で病棟を移る。

明日の結果まで、ご家族も濃厚接触者として行動自粛して欲しい。
施設にもそのように連絡して欲しい。

という説明を受けました。

書類を渡すこともできなかったので、飲んでいる薬、経管栄養の量など聞かれ答えました。
薬は、特養から持たされた紙を見て「フロモックス」5日分9日から、などと答えました。
下剤の種類や量など、すっかり特養にお任せしていたので、探して読み上げました。
特養の看護師さんも慌てていたのか、何枚も紙が入っていました。

経管栄養の専用のチューブも持たせていただいたのですが、それさえ渡すことができませんでした。
入院手続きもできませんでした。

すべてが終わったのは、8時45分ころでした。

駅まで娘が迎えに来てくれましたので、特養に車を取りに行くことができました。

家では、愛犬そらがご飯を食べずに待っていました。

夫は、入院しました。
まずは、一安心、ということにします。





ブログ8周年・・・発熱

1月7日がブログ開設記念日です。
2013年1月7日に、初めたブログがお蔭様で8年目になりました。
読んでいただいてありがとうございます。

もう8年です。

2012年、franzeさんのブログの影響を受け、Yさんがブログを始めたことで、私も書いてみたいと思うようになりました。
ブログを始めたのは、少し遅れて2013年になっていました。

毎日のように、「散歩」に行ってフルートを吹いていた頃のこと。
煙草を吸って、ポイ捨てに困っていたこと。

線路に下りて警察に保護。
「散歩」といって電車に乗って山歩き。
遠くまで行って捜索願。

精神病院に入院。退院。

急激な身体機能の衰え。歩行困難。嚥下困難。
胃ろう造設。車椅子。福祉車両。

特養入所。

いろいろなことがありました。
全部、このブログに記録が残されています。
振り返ることができます。


記録は、まだ進行形です。

病状の変化や制度のことなど、いずれ、もう少しわかりやすくまとめてみたい、と思っています。



今の夫の状態
あまり良い状態ではありません。
たぶん、誤嚥性の肺炎を起こしているのではないかと思います。
特養は、この緊急事態宣言で、面会禁止になりました。

38度3分の熱が出ている と今日の夕方連絡を受けました。
微熱は、年末から度々あったようです。
頻脈、無呼吸があります。痰も多くなっています。

予定していた12日の口腔外科受診は、口腔ケアだけならお休みした方が良い、と看護師さんにいわれ、キャンセルすることにしました。
20日は胃ろう交換。21日は神経内科受診があります。
そのころには、熱も下がっているでしょうか。

11日は、リモート面会です。

今年初の口腔外科受診

5日 10時30分の口腔外科受診予約でした。

夫の用意や、福祉車両の操作、道路状況等考慮して、早めに家を出発しました。

思ったよりも、早く進み、30分以上前に待合室に到着できました。

まだまだ時間がかかると思って、ゆっくりと夫の手をマッサージしていました。
右手を握ったままなので、開くと皮膚がボロボロと出てきました。
そっと、綺麗に拭いてからハンドクリームを塗ってマッサージしました。
爪も伸びていました。
左手の爪は切られていましたので、時間切れ?だったのか?

耳の周りも片方だけ、コビコビの皮膚で擦るとガサガサと取れました。
久しぶりに側で見ると、気になってしまいます。

予約時間前に、番号表示がされて慌てて診察室に入りました。

「どうですか?」と聞かれ
「23日に熱が出て、下がりましたが良い状態ではないです。」と答えました。
「レントゲンは?肺炎でしょうね。」

施設なので、医師の指示で抗生剤投与だけだったことを伝えると黙って頷いていました。

唇が渇いていたので、「もっとたっぷり塗っていいですよ」といわれ、
口の中は、「残らないように拭き取って」といわれました。

先生に電話が入ったため、吸引、口腔ケアは、ほとんど看護師さん2人でやっていただきました。
ベテランの方だったらしく、先生も任せているようです。
「次は歯ブラシを持ってきてください。」といわれました。
舌も綺麗にしていただきました。

夫は看護師さんをじっと見ているので
「私を恨まないでね。」といわれてしまいました。
綺麗な女性をじっと見る癖は、まだ健在です。

「面会できないので、私は手が出せなくて・・こうして通院の時だけなんです。」
と先生にお話すると
「じゃ、通院を多くすれば、いいのかな。」というので
「はい!」と大きく答えてしまいました。

毎週、火曜の10時30分 定期的に受診が決まりました。
神経内科の予約が一緒に打ち出されるのを見て、
「こういう日は、一緒でいいよ」と言っていただけました。

明るい気持ちで、診察室を出ることができました。
夫は疲れたのか、寝てしまいました。

お天気も良かったのですが、公園に寄るとか、どこかでゆっくり、というよりも夫は早くベッドで寝たいだろうな、と思って帰ることにしました。
ほんとうは、もう少しマッサージをしたり、あちこち綺麗にしてあげたかったのですが、寝てばかりの夫でした。
車の中では、車椅子の首を支える部分を外しているので、首が不安定でしたが寝ていました。

ちょっとだけ、コンビニに寄り道をして、特養に戻りました。

特養の看護師さんに報告。

今後、看取りの確認の話合いをする予定があることを聞きました。
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謹賀新年 2021年

明けましておめでとうございます。
無事、新年を迎えることができました。
年末、慌ててお掃除とお節料理作りをしました。

31日大晦日は、新潟の風習で「年取りの晩」ご馳走を食べます。
娘一家が来て賑やかでした。
年越しそばまで、しっかり食べて帰りました。

1月1日は、関東風?お雑煮。
娘が鶏ガラで作ったスープは、夫の家の伝統の味。
今年はちょっとラーメンスープみたいでしたが、美味しかったです。
伊達巻も、今年は甘さ控えめでした。
新潟の郷土料理「のっぺ」は私が作りました。
黒豆、きんとん、煮物等も作ったのですが、娘の作ったお節料理の方が大人気で、残ってしまいました。

2日、特養の面会に行ってきました。
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「つどいの間」に神社ができていました。
入り口には、赤い鳥居もできていました。
お参りさせていただきました。

夫の様子は、毎日のように特養に電話をして聞いていました。
遠慮して電話しない日には、偶然「少し熱があります」と報告していただき有難かったです。

決して良い状態ではありませんが、まあまあの夫に会うことができました。
珍しく「あーあー」というような声を出しているようでした。
声というより、呼吸が声帯を震わせて音を出している、という感じ。
気のせいか、何か訴えているようにも思いました。

こっそり、喉を触ったり、肩、首をマッサージして声をかけました。
目で私の動きを追っていました。
少し落ち着いて声も出さなくなりました。

お正月で、面会も多いのか、次に待っている人が見えて、いつもより短時間で終わりになりました。

熱は、下がっていると聞きましたが、少し熱っぽい感じでした。

5日の口腔外科受診は、熱がなければ行かれると思います。

一安心の2021年スタートです。

良い年になりますように!