夫が危篤状態になった1月15日の前日か、もう少し前か、「雪」というタイトルの下書きが残っていました。
といっても、写真だけでした。

今年は大雪。
7年前の大雪を思い出していました。
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2014年2月の大雪。
膝までの大雪でも「散歩」の予定は決行していました。
さすがに、短時間で戻ってきましたが、翌日も「散歩」でした。
電車に乗ってハイキングも決行。
私も一緒に歩きました。
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夫の姿を面白がって写真に撮っていました。
「孤独な介護」は、ブログに書くことで救われていたのかもしれません。
ケアマネさんから、精神病院への入院を勧められていました。

大雪の後、雪かきをしてからの発表会。2014年2月。
入院していたら、この姿はありませんでした。
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夫がフルートを吹いた最後の日でした。
楽譜を夫の棺に入れました。
たくさんの書き込みのある楽譜でした。


夫が亡くなってからは、忘れかけていた元気だった頃の夫の姿も少し思い出せるようになってきました。
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新発見?

「新発見」と思って、記事にしようと思っていましたが、知ってから時間が経つと、新発見でもなく、私が知らなかっただけだと気づきました。
それでも、記事に残して置こうと思います。
遺族年金のことです。
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こうなってみないとわからない、というのは私だけ?
かもしれません。

そもそも、遺族年金とは?
遺族基礎年金と遺族厚生年金の違い。
遺族厚生年金の受給資格。

と、調べてわかることが、ありました。

葬儀直後は、気力もなく、信金のお姉さんを頼ってしまいましたが、時間は、思い通りに行きません。
自分で調べる時間と余裕ができました。

知らなかったことを知るのは興味深々。

自分の生活に関わる年金を、どうして自分で手続きせず頼んでしまったのかと思う程、気力と好奇心が復活!。
年金の計算は複雑。でも、どうしてそうなるのか調べて納得したい。

「遺族年金の新発見」
①男女不平等?
遺族年金は、専業主婦だった妻が生活に困らないための年金だということ。
つまり、夫は働いて、妻を扶養するのが当たり前で、だから、夫の死後困らないように、という年金。
夫の厚生年金の4分の3を遺族厚生年金として受給できます。
どんなに高額でも非課税です。
妻が働いて、夫が専業主夫だった男性の場合は、55歳以上という条件があります。
女性には55歳以上という年齢の条件は、ありません。
「男女の差」不平等のように思います。

②共働きは損?
共働き、高齢者の私の場合です。
65歳以上の共働きだった妻。老齢基礎年金も老齢厚生年金も受給資格があります。
そして、今回遺族年金の受給資格もあります。
(住所が別、世帯が別でも生計同一だったという第三者の証明が必要でした。)

何年か前までは、遺族年金と自分の厚生年金とどちらか選択できたそうです。
(遺族年金は、非課税になるので)
今は、遺族年金と厚生年金を自分で選択することはできません。
自分の厚生年金の受給が優先されます。

計算式もありました。

夫の厚生年金の4分の3
夫の厚生年金の2分の1+自分の厚生年金の2分の1
そのどちらか多い方から自分の厚生年金を引いた額が遺族厚生年金です。

当然、自分の厚生年金は課税され、遺族年金は非課税です。

と、だいたいここまで調べると、金額も気になりますが、その仕組み、制度がどうなのかな?
と「新発見」どころでなくなってきました。

私の場合、遺族厚生年金は、貰えないか、ごく僅かであることがわかってきました。

金額が増えることを楽しみにしていた老齢基礎年金の繰り下げも停止になって、受給手続きをしました。
自分の年金で生活しなくてはなりません。

「不平等」は世の中どこにでもあることなのかもしれません。
それでいいのかもしれません。

「男女不平等」は、将来的には改正されるでしょう。
でも、このままでは、年金制度そのものが崩壊してしまうかもしれません。

まだ、私は年金受給できるギリギリの世代なのかもしれません。

「新発見」になるのか、今になって気が付いたのは、夫と私の二人の年金で生活していたその金額の半分の金額で生活していかなければならないということです。
夫が、亡くなってしまったら、払っていた年金でさえ、当然のように貰えない!

な~んだ、ひとりになったのだから当たり前!??
「何やってるのぉ」と写真の夫が笑っています。

信金のお姉さんが来て、年金事務所へ行って書類を提出してくださるそうです。
凍結された夫の口座の相続手続き書類も整え提出しました。

ひとりになるって、まだまだ大変です。
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神経内科の先生の所へ

2月18日(木)
前頭側頭葉変性症つくしの会のえいさんのご好意で、神経内科の先生の所へ行くことができました。
お世話になった先生にご挨拶ができました。
えいさんに感謝です。
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夫が亡くなった病院は、長く通院していた病院でした。
今回の入院で、神経内科の主治医の先生も口腔外科の先生も夫を病棟まで診に来てくださっていたそうです。

4年前、2017年3月のその入院時、病棟担当で重症の肺炎を救っていただき、胃ろうを勧めてくださった神経内科のF先生。
私の不安も受け止めてくださった先生。
入院の手配をしていただいたそれまでの主治医の先生は定年退職なさったので、退院後F先生に夫の主治医になっていただきました。
とても、とてもお世話になりました。

「この病気のことは専門でないので、お話聞くことと書類を書く事しかできませんよ。」と言いながら、とても良く話を聞いてくださるし、お願いすると湿疹の薬等もすぐ出してくださる、書類はすぐに書いてくださる、私の疑問には、すぐ調べて答えてくださる、という素晴らしい先生でした。

主治医を探していたえいさんにもご紹介して以来、共通の話題も多くなりました。

今回、えいさんの奥様の受診にちゃっかり同行して、先生に会わせていただきました。

夫は、日曜日に亡くなったのですが、月曜の退院時には、先生も見送ってくださる予定だった、とえいさんからも聞いていました。
ご挨拶できないままでは、私も心残りでした。

診察室で笑顔で迎えてくださいました。
「退院するって聞いて、奥さんらしいな、と思っていましたよ。」と言われました。
私は、病棟の先生にすぐに動いていただけたこと、看護師さんの対応も良かったことなどお礼をいうことができました。
目で追っていた、という夫らしい姿も聞くことができました。

感謝の言葉は、消えてしまわないように、短い手紙にして「ラブレターです。」と渡しました。
白い封筒を渡すと「お手紙だけでしょうね。」と笑いながら仰って「こういうの大事に取ってあるんです。」と嬉しそうに仰るので、朝大急ぎで書きなぐった手紙は恥ずかしくなりましたが、お礼の言葉を残して良かったと思いました。
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パンジー綺麗に咲いています。

1か月が過ぎました。

令和3年1月17日に夫が73歳で亡くなって、1か月が経ちました。

どんな感じか?
どういう暮らしをしているのか?

初めての経験が多くて、戸惑いも新発見もいろいろ・・・

手続きも当初の「やらなくっちゃ」という強迫観念から少し弛んで、「なんとかなりそう」という感じ。

「夫がいない」ということは、なかなか大変だということにも、やっと気が付き始めたところ。
当たり前ですが、初めて経験することです。
経験者である介護仲間が「これは貴女に」とお花を持って来てくれました。
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(パソコン越しに撮ったお花。実物はもっと綺麗でした)
彼女に会うのはコロナもあって、久しぶりでした。
「ちゃんと食べてる?」「寝てる?」と聞いてくれました。
有難いです。
私は、元気です。

娘がお花を買ってきてアレンジして飾ります。
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お花の色もだんだん明るい春の色になってきました。
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祭壇も飾っています。
お花に癒されています。

「新発見」は次の記事にします。

保険金

残念ながら、高額な死亡保険金はありません。

病気だったからなのか、誰でもそうなのか、いつ頃のことだったか、そういう時期だったのか、高額だった生命保険を夫は、私に相談することなく解約してしまいました。
相談されたかもしれませんが、反対はしませんでした。

解約金は、金のフルートになりました。
国産の普通車より高いかもしれない金額です。

夫の生活に生きがいと潤いを与え、ほんとうにこれで良かったと思います。
何千万、何億というお金にも替えられない、比べられない価値あることだったと思います。

その大きな生命保険解約の後、入った都民共済の保険には、入院でかなり助けられました。
申請がとても簡単でした。
そうそう、夫が最初に「網膜剥離」で入院した時は自分で申請して下りた保険金を私に「上げるよ」と渡され喜んだことを思い出しました。
70歳を目前に高度障害を申請して、死亡保険金も受け取りました。
これも、とても良かったです。

もうひとつ、
医療保険が残っていました。
夫は「ガンになる」予定だったらしく、いわゆるがん保険に医療がプラスされていました。
一般の入院でも保険で補償されます。
精神病院入院等では、大いに助かりました。

でも、もう入院はさせたくない、と思った時点で解約も考えていました。
毎月の支払に見合った補償なのか疑問に思いながらも、夫の口座から引き落とされるまま今になりました。

今回の入院は短期間ですので、請求は領収書だけで簡単です。
死亡保険金は、ごくごく僅かです。

最後の、ほんとうに最後の保険の受け取り手続きが完了します。
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前頭側頭葉変性症つくしの会 2月定例会

2月11日(木)
久しぶりのリアル定例会でした。
Zoom定例会では、遠くから参加される方もいて、場所の移動も感染の危険もなく良いこともありますが、やっぱり、実際に会ってお話するのが一番です。
良かったです。

8人の出席でした。

初めての参加の方も2名いらっしゃいました。

ゆっくりお話できました。

私も、夫の亡くなるまでの経過を簡単にお話しました。

前頭側頭葉変性症の独特の症状のために、周囲になかなか理解されず、行き場所がない、というお話や、医師にも理解してもらえず困ったという話は、まだそのようなことがあるのかと胸が痛みました。
デイに喜んで通っているお話を聞くと、とても嬉しく思い、受け入れていただける所が各地にあって欲しいと思いました。
行方不明になったお話は、FTLDあるある話で、その工夫や対応「警察は優しい」というお話に共感しました。

全国に会員さんが増えて、50名以上になりました。
独特の症状に戸惑い、周囲に理解されず、孤独な思いをなさっている方も、まだまだいらっしゃると思います。

定例会に出席できないとしても、ここに仲間がいること、毎月仲間が集まっている会があることをお知らせしたいと思います。
http://yamatosakura2016.blog.fc2.com/
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口座凍結?・・失敗!

銀行口座等、故人の口座は、死亡の申し出がない限り、凍結されることはありません。

生前に、少しずつ自分の口座へ移す。
死亡後、自分の口座へ移す。

といった作業は、ほんとうはいけないことですが、やらなければ面倒なことになる、とわかっていたつもりでした。

丸っきりやらなかったわけでもないのですが、まだまだ、後で、とか、引き落としがあるから、と理由をつけて、残っていた夫の口座の残金。

とんだミスをしてしまいました!

夫の死亡後にやらなければいけない手続きの中で、遺族年金の請求がありました。
書類を揃えて書けばいいだけなのですが、近くの信金の年金担当のお姉さんに以前から「ご相談に乗ります」と言われていました。
私は自分の年金を繰り下げにしていましたので「支給請求はいつでもお手伝いします。」と言われていたのを思い出しました。

書類を書けないこともないけれど、スタートする気力がないので、側で手伝ってもらえたら、と思ったのです。

なんという失敗!
「夫が死亡したので遺族年金の請求を手伝っていただきたい」と言ってしまったのです。
「それでは、ご主人様の口座は本日停止しますね。」・・・・・
それは、そうなりますね。
同じ信金なのだから、当然そうなることに、やっと気がつきました。

公共料金の口座変更や、お金の移動も同時進行していましたので、電話はもう少し後にすべきでした。
知らなかったわけでもないのに・・・・。バカね~。
あともう少しだったのに・・・・。

失敗!失敗!
これが「口座凍結」です。

正式な相続が決定するまで動かせなくなりました。

夫の口座です。
年金の受け取り、特養の支払い、自宅の公共料金等の引き落としに使っていた口座です。
そのために、と残してあった額が思ったより多くて、面倒な相続手続きが必要になってしまいました。
額が少なければ、簡易手続きで良いのだそうです。
もし、もしもこの口座のお金が生活資金の全てだとしたら、もっと困っていたと思います。
自分の年金で生活していかなければ、と少しは考えて、少しは、少しは準備もしていたつもりでした。

仕方ないです。

土地、家屋の相続手続きもありますので、必要書類は用意します。

本籍地は、都区内の夫の両親が住んでいた場所です。
戸籍謄本を、郵送で請求して、今日やっと届きました。
「生まれてから死亡までがわかるもの・・・」
改正原戸籍謄本というのも法定相続で必要なので、送って貰いました。

娘にも、印鑑証明や戸籍謄本等、取って貰い、書類の記入もして貰いました。

年金請求や相続手続きは、これからです。
年金は、急いだ方が良いそうです。

年金担当の信金のお姉さんが、年金事務所に聞きに行ってくれました。
書類を完成させます。
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死亡後の役所関係手続き

《障害福祉課・高齢福祉課へ》
特養のすぐ近くの総合センターに障害福祉課と高齢福祉課があります。
ここへ行くのは、足が重い。
制度の手続きで何度も通った場所。
最後の手続きは、あまりにも簡単でした。
事務的に書類を記入して終わりました。
手帳、介護保険症等、それぞれ返却しました。

《市役所へ 保険年金課・課税課》
本庁勤務職員は、さすが対応が良かったです。
後期高齢者医療証の返却や、葬祭費申請等、事務的な事が一通り終わると、「他にお困りのことはありませんか?」と聞いてくださいました。
何から手を付けていいかもわからず、戸惑っているのですから、この言葉は救われました。
「年金のことは、電話で聞いて見ますが、土地家屋の相続手続きがわからないのです。」とここで聞いても、と思いながら言ってみると、「ここではお答えできませんが、課税課の方で何かお役に立てるかもしれません。聞いて見たらいかがでしょうか。」と課税課の場所、隣りといっても少し距離がある場所を示し、私がお礼を言ってそちらへ向かうと、カウンターの中で後から移動して、私より先に係の方に取り次いでいただけました。

こういう対応、福祉課でも欲しい!と思いました。
障害福祉課と高齢福祉課は、すぐ、すぐ隣りなのに、知らんぷり。
酷い時は、同じ障害福祉課でも担当が違うからと答えて貰えない。
福祉の制度は変更もあって複雑なのだから、機転の利く職員を配置していただきたい。
そう、最初、介護保険の申請に行った時、自立支援の申請もする、と話をしたのに「隣りでできますよ。」という案内もなく、遠く離れた保健センターへ行ってしまったのを思い出しました。

なので、隣りの課まで足を運んで取り次いでくださる対応には「こうでなくっちゃ」と感心しました。
課税課の対応もまた良かったです。
一般的な法務局出張所の案内の紙を渡してくださったばかりではなく、固定資産税の口座振替の変更もその場でしていただけました。
さらに、他にも市役所関係で引き落としになっているか調べていただけました。

役所関係は、思ったより時間もかからず終わりました。

年金と土地・家屋相続関係が、まだです。

失敗も・・・・・次回、書きます。
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葬儀後 いろいろ

「死亡届を提出された方へ」という案内と「死亡届、死亡診断書」のコピー数枚を葬儀社さんから渡されていました。
葬儀が終わってから、と手続きはしていませんでした。

葬儀は日曜日。
翌日から動き始めました。

忘れないように、思い出したことを書いておこうと思います。
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《特養》
最初に行ったのは、夫がお世話になった特養です。
娘が「ハンチングを被せたい」と衣類等を取りに伺っていましたが、私は夫の死後、ご挨拶もできないままでした。

夫が暮らしていた特養に行く事は辛いことですが、ここからスタートしたい、と思いました。

相談員さんが入所した時と同じように相談室で対応してくださいました。
いろいろお話した内容は、詳しくは覚えていません。
感謝の気持ちをお伝えできたと思います。

相談員さんも、初めて自宅に来てくださった日の事を良く覚えている、とか、
「奥様からは、いろいろ学ばせていただきました」とか・・・。
お話できて良かったです。

ちょうど施設長さんにもお会いして、ご挨拶ができました。
「コロナのせいばかりにはできない。」と、とても心を痛めていらっしゃる様子で、お疲れのようにお見受けしました。
「ここは刑務所か?と言われた」とか。。。
つい「その通りです。ぜひ面会の緩和をお願いします。」と力をこめてしまいました。

思い出しました。
コロナでなかったら、救急搬送することなく、穏やかな看取りをここでしたかった、というお話をしました。
「看取り」については、ずっと考えて来たことでした。
積極的な医療治療はせず、特養でできる医療介護と私のできることで、看取りたい、と思って伝えてありました。
夫のフロアーには、セミパブリックルームがあって、家族が寝泊まりもできるようミニキッチン、バストイレの設備もありました。
「コロナのこの時期でなかったら・・」です。
お世話になったスタッフの皆さん、特に看護師さん達には、夫も信頼を寄せ、安定した生活ができたことに感謝です。

感謝の気持ちを上手く伝えられたか・・・・。
また、機会を見つけて訪ねてみようと思います。

会葬礼状

葬儀に参列してくださった方にお渡しするお礼状。
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決まりきった一般的なお礼状でも良いかと思っていましたが、
葬祭センターオリジナルの会葬礼状を無料で作っていただきました。

数分、電話でお話しただけでしたが、プロのライターの方が私の希望通り、素晴らしい文章を作ってくださいました。
友人からいただいたお花のお礼にも使えるようにしていただきました。

記録に残したいと思います。

「お世話になった皆様へ心より感謝申し上げます」

在りし日を偲び そっと瞼をとじれば、夫の奏でるフルートの音色が
静かに響いてまいります。音楽が好きで、様々なメロディに触れては
心豊かな時間を過ごしておりました。 元気な頃は登山にも出掛け
夫婦であちらこちらを旅行し 笑みを交わし合ったことも懐かしく
よみがえります。良きご友人にも恵まれ、皆様との交流はいっそう
夫の日常を彩ってくれたに違いありません。笑顔に満ちた、そんな
毎日に変化が訪れたのは十二年前のこと。前頭側頭葉変性症という
病名を告げられ、戸惑う私たちに多くの方がお力添えください
ました。なかでも、病を通じて知り合ったお仲間方にはたくさん
励ましのお言葉を頂き、どれだけ心強かったか・・・。お世話になった
施設関係、特別養護老人ホームのスタッフさんにも本当によくして
頂きました。ほかにも夫を見舞ってくださった方、来られずとも温かい
お気遣いをくださった方、支えてくれた親族など、皆様のおかげで
夫はここまで頑張ってくることができたのだと感謝は尽きません。

病院の先生や看護師さんも最後まで尽力くださり、令和三年一月
十七日、夫は、○○○○は、享年七十三歳にて生涯をとじました。
別れは寂しいですが、数々のご縁が織り優しき道のりを歩み
長き闘いを終えた夫を、今は心からねぎらってあげたいです。
受け賜りました多大なるご厚情、ご供花に深く感謝を申し上げます。
本日はご多忙中 足をお運び頂き、誠にありがとうございました。
略儀ながら書状をもって謹んで御礼申し上げます。
令和三年一月二十六日
              喪主  ○○○○

1月26日 葬儀

2021年、1月26日
一日葬
本来ならお通夜、葬儀となりますが、コロナのこの時期、遠くからの参列の負担を考え一日葬と決めていました。

事前に相談した時は、まだ緊急事態宣言前でしたので、会食も可能でしたが、緊急事態宣言が出て館内での飲食はできなくなってしまいました。

コロナウィルスの感染者数という数字が増える中、感染防止策で、葬儀の形式も変わらざるを得ないように思います。

ごく質素なお葬式にしたいと思っていましたが、会場が希望した小式場より大きな中式場となったため、少しランクを上げ、娘の希望の「花は緑で」と難しいリクエストにも答えていただき、夫らしい祭壇でした。

娘一家の大きな車に乗せて貰って、式場まで行くと、早い時間にもかかわらず、夫の兄夫婦、甥、甥夫婦、夫の従姉とそのご長男、従姉の長女、と親族が見えていて、びっくりでした。

予定の人数より多くお集まりいただくことがわかって、慌てて、娘に「人数数えて」と頼みました。
火葬の休憩室の用意の都合です。
お食事は出せませんが、飲み物の用意があると聞いていました。

式の前後、娘と作った「思い出のコーナー」を見ながら、久しぶりに会う夫の親族の方々ともお話でき、良かったです。

親族は、孫世代まで含め、約30人近くになっていました。

一般の方は、前頭側頭葉変性症つくしの会の会長えいさん、大先輩のMさん、ご近所の親しい方数名でした。

ご住職が見え、白木の位牌に希望通りの法名が書かれているのを見せていただき、お寺からお香をいただきました。
ご住職の控室で「本日はよろしくお願いいたします」とご挨拶をして、お布施、お車代、お膳料をお渡ししました。
本来なら、葬儀が終え、お礼参りにお寺に伺うべきですが、失礼させていただき、初七日の法要も行っていただくお礼のご挨拶も緊張しながら申し述べました。

喪主として、やることがたくさん。
開式前に、司会者がスピーチで夫を紹介したいので、と夫の事を短くお話しました。
娘が途中から加わり、コンサートや美術展に連れて行ってもらった話、スキーに夢中になって、毎週のように連れて行かれた話などしました。
そんな時もあったな~と思い出すことができました。
「穏やかな方だったのですね。」と聞かれると、娘は「穏やかではない。厳しいというより、こだわりが強かった。日曜日の朝、テレビの漫画を見せて貰えなかった。」と。。
私は、当時の娘の気持ちに全然気付かず、休日の朝は、私だけ寝坊をしていたのかもしれません。
ひょっとしたら、夫の病気は、ずっとずっと前からだったのかもしれません。
娘は、自分勝手で頑固とも思える父の行動に、傷つくこともあったのかもしれません。
夫や娘が繊細な心を持っていると知っていても、大雑把な私は深く考えることもなく、平然と暮らすだけでした。

司会者のスピーチは、良くまとめられていました。
仕事も趣味も真面目だったこと。
フルートは娘が引き継いでいること。等‥
綺麗にお話していただけました。

ご住職のお経 お焼香 お説教・・・
自然と涙が出ました。
隣に座っていた夫のお兄さんが、膝に置いた両方のこぶしを振るわせているのが見えました。

響き渡る良いお声のお経を聴いて、伴奏のように変わるころ、ご住職がお焼香のサインを送っていらっしゃって、係の方が気が付かないのか、でも、ここで案内もなくお焼香に立てない、と、数回サインを見送った頃、やっと後ろから「おひとりでお焼香を」と小声で案内されました。

故人に近い順からのお焼香。
静かに、進められ、皆さん深々と頭を下げられるので、失礼のないように、お焼香の様子を目に入れさせていただきました。

導師退場の後、扉が閉まり、そこで、葬儀社からのサプライズプレゼント!

ヴァイオリンの生演奏です。

事前に相談があって、リクエストもしてありました。
奏者の都合もあるので、サプライズにしてあるのだそうです。
通常はフルート演奏だそうです。

1曲目は娘のリクエスト「ジュピター(木星)」
次は私のリクエスト「いのちの記憶」です。
歌詞がとても良い曲ですが、歌詞を思い浮かべ、涙が溢れました。
https://youtu.be/Z7GrWfQq2_w

同時に弔電披露があって、前頭側頭葉変性症つくしの会の仲間からのメッセージが読み上げられ、有難く、涙、涙でした。


ヴァイオリンは、ずっと聴いていたい程でした。

もう1曲「愛の挨拶」もリクエストしました。
たった1度、夫のフルートに私が伴奏をした時の曲。
発病後の1度だけの思い出のデュオでした。

棺にお花を入れる時、BGMのように演奏していただき、ヴァイオリン独特の響きが心に残りました。

生演奏で見送られる葬儀、良かったです。

この葬儀社Kさんにお願いしてほんとうに良かったと思いました。

喪主の挨拶は、涙をこらえてお礼を言うのが精一杯でした。
もっと、いわなければいけない文言もあったはずですが、飛んで行ってしまいました。
感謝の気持ちだけは、言う事ができたと思います。
「ご親戚の方でも・・・」と葬儀社さんは言ってくださったのですが、挨拶は下手でも自分で言いたいと決めていました。


葬儀は、心の整理をつけるためにも必要な儀式だったように思います。

お蔭様で葬儀が無事終わりました。

10日も経って、思い出して書いていますが、なかなか思うように書けません。
忘れてしまったことも、書き忘れていること、書けないこともあります。

続きも、書こうと思います。



出棺 安置所 面会

17日の旅立ちから26日の葬儀まで9日間、とても長いと思いましたが、夫の写真をゆっくり選ぶ時間もあって、良い時間でした。

ただ、家での後半2日間は、気温も下がって冷房を入れなくても十分に寒かったです。

2階に避難して暖房を入れ、アルバムやパソコンに取り込んだ写真を眺めていました。

遺影に使う笑顔の写真も見つけました。

私があまりにも寒がっているので、娘が「家に来たら?」と言ってくれましたが、大型犬2匹と孫4人では、長居できません。
夕食だけは、ご馳走になっていました。

21日の午後1時、家から出棺です。
ご近所の方が見送りに並んで待っていました。

家の敷地が狭いため、棺を高く持ち上げて回転させなくてはなりません。
そのこともあって、安置所での納棺を提案されていたのですが、有力な助っ人がいますから、と納棺は家でしました。
男性二人必要と言われ、婿殿と、もう一人・・・つくしの会会長えいさんにお願いしました。
えいさんには、棺を担ぎ出すだけのために来ていただいて、有難く申し訳ない気持ちでした。

えいさんとご近所の方に挨拶をして、見送っていただき私は寝台車へ、娘達は車で安置所へ向かいました。

娘が生まれる前まで夫と住んでいた場所の近くにその安置所はありました。
運送会社の倉庫のような場所で、まだ葬儀社としての看板はありません。
ここで、簡単な葬儀もできると聞いていましたが、納棺をここでお願いしなくて良かった、と思う場所でした。

丁寧にお参りさせていただきました。

姪が葬儀には出られないので、その前に「叔父ちゃんに会いたい」と面会を申し込んでくれました。
その時には、一緒に面会しょうと娘と話し、その時納棺師さんも最後の手直しに来てくださると聞きました。

納棺師さんは、とても良い方だったので、もう1度お会いできる、と嬉しく思いました。
お父様が同じ病気らしい、とKさんから聞いたのですが、詳しくは聞きそびれてしまいました。
だから、優しく家族にも寄り添う言葉が自然に出たのでしょう。
残念ながら、面会予約を変更したので、会うことができませんでした。

姪夫婦は24日日曜日の面会予約でしたが、雪の予報があったので、23日午後に急遽変更しての面会でした。
前日は、予約なしで、えいさんをご案内してしまい、お参りの準備ができていなかったので「いいです。いいです。」とそのまま帰ってきてしまいました。
裏口の倉庫から、えいさんをご案内してしまい、冷蔵庫と冷たいコンクリートの部屋だけを見せ、ショックを与えてしまったと反省しています。

姪夫婦は、入り口から案内して、すぐに祭壇が用意されていて、棺の蓋がずらされて、上半身の夫を良く見ることができました。
「いいのかしら?」というくらい長い時間面会もできました。
その後の冷蔵庫までは、振り返らずに後にしました。

姪夫婦には、自宅にも来てもらいました。
夫が好きだったスペインの赤ワインもいただきました。

忘れていたスペインのトーレス!懐かしい!
黒い闘牛のマスコットが付いていて「ねえ、覚えてる?」と娘に聞くと
「覚えてる。集めていた!」と歓声を上げました。
もうずいぶん前のこと。どちらかというと若く荒っぽい味ですが、スペインの独特の香りのするワイン。
だと記憶しています。(私の好みではなかった)
そのワインを夫は好んで飲んでいた時期がありました。
覚えていて、持ってきてくれた姪に感謝!

当たり前ですが、姉の最初の子である姪は、私より前から夫に会っています。
長いお付き合いは、姪の年齢と同じ年月。
生まれた時、子供の頃、大人になってから、夫の発症後も・・・
感謝、感謝です。
姪は、葬儀の日、たまたまこの日だけ抜けられない仕事で欠席になって、残念でしたが、ゆっくりお話ができてほんとうに良かったです。
姉夫婦の事も長女として気遣っている様子が伺え、私も思っていたことを少しお話できました。
孫達にも会っていただき(4番孫と婿殿お昼寝中)娘もお話できて良かったです。

葬儀の写真コーナーのボードも、この頃にはほぼ出来上がっていました。
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娘の力作。100均のお花もなかなか良い!

葬儀まであと数日。
娘宅で夕食をご馳走になり、素早く家に戻る毎日でした。

美容院にも行き、買い物もできました。
壊れていたオーブントースター、加湿器も買いました。

長いと思った9日間でしたが、ゆっくり葬儀の準備ができて良かったと思いました。

枕経・納棺

19日 枕経・納棺

菩提寺は、都区内です。
思いがけず、ご住職から枕経のお申し出があって、喜んでお願いすることにしました。
納棺の時間を予定より少し遅くしていただきました。

ご住職は二代目、娘よりやや年上、まだお若い。
都区内から車を運転して来ていただきました。

枕経は、まるで歌うようなお経が心に沁みました。
元住職にも負けない良く響く声でした。

法名についての希望を聞かれ、俗名と同じ名前にして欲しいとお願いしました。
浄土真宗ですので「釋」という字の下に俗名と同じ名前です。
とても気に入っているので残したい、とお話しました。
「調べて、考えて見ます」というお返事でした。

ご住職の到着が事故渋滞で遅くなってしまい、葬儀社さんと納棺師さんが外で待っていました。

納棺師さんは、素晴らしかったです。
外れた顎を戻すのは、難しかったと思いますが「見ているとお辛いと思いますので」と見ていない間に口を閉じさせました。
その後は、側で私達にも手伝わせてくださって、家族に寄り添う言葉がけもしていただけました。

娘の強い希望で、白装束は着させたくない、と衣装を選んでありました。

お気に入りのオールブラックスの黒いラガーシャツを着せたかったらしいのですが、とっくに処分していたので、明るいブルーのラガーシャツ、お気に入りのハンチング帽等も用意しました。

納棺師さん、体が固くなっているのは、普通の硬直と違って病気のためだということの区別がつくのだそうです。
「ここ、クセがあるんですね」と頭を見て微笑みかけたり、靴下を娘夫婦に履かせるように渡して「色を選んだのですね。」と話しかけてくださったり、脱がせたパジャマも、残されますか?と聞いてくださり、不要なら持たせてくださると仰って、その話し方も優しく、とてもゆったりとした良い時間でした。
綺麗な布を夫にふんわりとかけただけで、肌が見えないようにしながらの着せ替えも見事でした。
シャツが少しきつくて「ごめんなさいね」といいながらでしたので、私も引っ張るのを手伝わせていただきました。
最後の着替え介助ができて嬉しかったです。

「お化粧、しなくても良いくらいですけど」といいながら綺麗に口紅も塗って、整えていただけました。

私の父の時は、別室で待たされ、無言で最後に少しだけ紐を結ぶとか、その程度でした。
娘はその時の白い衣装が嫌だったと、夫に相応しい衣装を主張しました。

私は、どうでも良い事だったのですが、一緒にラガーシャツ、ズボンを「これがいい」と一緒に選んで良かったです。
この時、夫の物を着ないからと全部処分してしまわないで良かった、と思いました。

白い布張りの棺に夫は入りました。

「白雪姫みたい!」と孫娘が言いました。

3番孫は、自分の描いた絵が入っているのを確認していました。

「何か入れたい物があったら、用意しておいてくださいね。」といわれました。
写真等もいいのだそうです。愛犬の写真や、山の写真も入れました。

葬儀社の担当Kさんに「素晴らしい納棺師さんでしたね。」とお話すると、
「家族の前で、見事に着せ替えができるのは、彼女だけです。プロの中でもトップです。」とのこと。
こんな素晴らしい納棺がプランの中に含まれているのですから、この方にお願いしてほんとうに良かったと思いました。

枕経とこの納棺で、随分気持ちもスッキリとして、清々しい気持ちになれました。

娘が珍しくフルートを聴かせてくれました。
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姉夫婦へのお礼も込めて、父の残した金のフルートでの演奏。
夫の繊細な音色とは違う、娘らしい音色と唄い方でした。

この後、姉夫婦が帰ってしまうと、一段と寒~い寒い夜になりました。
仕舞い込んであった電気毛布を思い出して引っ張り出し、お風呂に入って暖まると朝まで眠れました。

葬儀までのこと

17日に亡くなって、葬儀は26日

9日間をどう過ごすか。

葬儀社さんは「ご遺体のためには、早い納棺、安置所で」と勧める。

葬儀場の安置室は、24日まで空いていない。
民間の安置所が近くにあって、面会も可能という。

肉体に未練のない私は、できるだけ家にいて欲しいという娘の気持ちを尊重することにしました。
いつまでならいいのか話し合って決めました。
ご遺体が傷むのは、嫌なのですが、ドライアイスを抱え、暖房はもちろん入れられず、冷房を入れて過ごさなくてはなりません。

追加のドライアイス代と民間安置所の料金と同じだから、と葬儀社さんは安置所推薦でした。
妥協できる日を納得して決めました。

納棺は、19日。
民間安置所へ21日午後、家から出棺。
葬儀場安置室へ24日移送。

つまり、家に4日、民間安置所に3日、葬儀場に2日の合計9日です。

家に置いても、納棺は早い方がいい、というので、納棺は19日。


18日㈪は、退院予定日でしたので、訪問診療の先生、訪問看護師さん、ケアマネさんに連絡をしました。

前頭側頭葉変性症つくしの会の会長えいさんが、お焼香に来てくださっているところへ、ケアマネさんが見えました。
介護保険症を届けていただき、夫にも会っていただきました。
まだ初期の頃お世話になった方でしたので「まあ~あの頃は日に焼けていたのに、こんなに白い良いお顔」と言っていただけました。
お仕事柄、ササっと用事だけで帰って行かれました。
介護ベッドは、直接業者に連絡をして取りに来る日を決めるよう言われました。

ケアマネさんも、医師も看護師さんも準備をしていただいて、ほんとうに有難く申し訳なかったです。

在宅酸素も先生から連絡が行き、直接取りに来る日を決めました。

介護ベッドは1か月単位なので、使わなくなった時点での連絡。

納棺後も介護ベッドを使うことにして、その後引き取っていただきました。

18日の夕食は覚えています。お鍋です。
18、19日は用事があって忙しいという夫のお兄さん夫婦が、夕方から見えて、一緒に食事をしました。
お兄さん夫婦、お姉さん夫婦と私。
蜜ですが、高齢者同士ですので、気にしない。
暖房が使えないのがお気の毒で、体調を崩されないかと気になりました。

そう、そうこの日は、お兄さん夫婦が帰った後、仕事から帰ってきた婿殿と娘が来て、お姉さんの旦那様とずっとお話が弾んでいたようです。
お姉さんは、お風呂あがりで参加。私は途中でお風呂に入らせて貰いました。
お話をする機会もあまりなかったので「遊びにおいで」とお誘いもいただいて良かったようです。

コロナの緊急事態宣言中でなかったら、もっと賑やかに集まってお話もできたのではないかと思います。
いつか、安心して集まれる機会も作りたいと思っています。

興奮したまま、18日は過ぎました。

退院するはずだった日、1日も在宅介護はできず、自宅で看取ることも叶いませんでした。

娘の言葉を残します。

「お父さんは、お母さんに家で大変な思いをさせたくなかったんだよ。病院がいいって決めたんだよ。」

そうなのか~~そう思うと救われます。

夫は、慣れた病院で、主治医の先生や、口腔外科の先生にも診ていただき、退院の時は見送りまでしていただける予定だったと聞きました。
叶わなかったのは、残念ですが、夫が決めた事。
夫らしい最期だったと褒めてあげることにしました。

これで良かったと思います。
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1年前、一緒にスイスへスキーに行った友人からお花が届きました。