白内障の手術

私の事です。

白内障の手術を受けます。

ひとり暮らしですし、通院の手間を考えて入院をお願いしました。
10日1泊 左目
2週間後24日 右目 です。

半年以上前からの予約です。

強度の近視で、矯正視力が出なくなって、いよいよ手術です。

「白内障の可能性があります。いずれ手術を」という診断を受けたのは、もう5年前でしょうか。
夫が胃ろうすることになって、入院中でした。

いつかは、手術をする、良く見えるようになる、とその時期を待っていました。

夫の白内障手術に付き添った経験があります。
前日、当日、翌日と車で送迎しただけですが、これなら入院した方が良いと思いました。

日帰り手術も可能です。

コロナ禍の総合病院は、ウィルス感染やや不安もありますが、偶然か必然か、この時期になりました。

手術日を決めた時は、夫も落ち着いているうちになるべく早く、とお願いしたのでした。


公表はこれくらいにします。紫蘭.jpg

五月の歌

5月になりました。

Zoomで「夕焼け空の歌の会」に参加するために、曲を探しました。
「5月の歌」
爽やかなメロディ、ぼんやりとした記憶と「春へのあこがれ」の曲が一致して、少し驚きました。
記憶が曖昧になっています。

モーツアルトの曲です。
唱歌となって、小学6年生の教科書にも載って歌われていた。
という事を知りました。
歌詞は、知りませんでした。

「早春賦」の作曲者が参考にしたそうです。
似ています。
https://www.youtube.com/watch?v=NHW2gfYvfZo


モーツアルトの「春へのあこがれ」のライアーの楽譜が手元にありました。
昨年、コロナウィルスの世界的な感染が広がる中、アメリカのライアー奏者の方から「ライアーの音色でマントを地球上に作りましょう」という提案があって、日本でもライアー奏者の方を通じて広められたのです。
ブログに楽譜が添付されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=pnAAuMW7TnI
親しみやすい綺麗な曲で私も弾いていましたが、今まで「5月の歌」と結びついていませんでした。
歌うために、音程を下げました。

「春へのあこがれ」
Youtubeで探していたら、アップしたばかりの素敵な歌声と画像に出会いました。

ヨーロッパでは、5月が春なのでしょうね。DSC_0241.JPG
そういえば、スイスでは、6月でも春の花が咲いていました。
https://www.youtube.com/watch?v=Xu3_IC9n9jM

モーツァルト曲 オーヴェルベック 詞
「春への憧れ」KV.596
≪解説≫より
モーツァルト最晩年の作品。子供のための歌集「春の部」のうちの一曲で、天真爛漫な子供が無邪気に歌える曲調となっています。いまでもオーストリアでは、子供たちの春の愛唱歌として知られています。又、この曲の主題は、前作であるピアノ協奏曲KV.595第三楽章から取られています。
日本より春の訪れが少し遅いオーストリアでは、復活祭ののち、5月が本格的な春の始まりです。木々が芽吹き、鳥のさえずる美しい季節・・・この歌は、冒頭の歌詞「来て、美しい5月」Komm lieber Mai という呼び方でもおなじみです。

おまけ
ピアノ伴奏で、気持ちよく歌えます。
https://www.youtube.com/watch?v=AcSbK4gfaVM
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4月が終わる・・・

今年は、桜もハナミズキも開花が早くて、4月ももう終わろうとしています。

早い!

夫が亡くなったのは、1月17日。
2,3,4,もう4月・・・3か月。

納骨は4月17日に都内にあるお寺で無事済ませました。

四十九日は、とっくに過ぎていたので、百か日の法要のつもりでしたが、遅くなっても「満中陰法要」でした。
四十九日の満中陰法要は、仏教では大切な区切りのようです。

お寺に行くのも、コロナの影響で久しぶりです。

コロナの心配がなければ、
親戚一同賑やかにお食事をしながらお話できるのですが、、、
ゆっくりお話もできないのも申し訳なく、それでも夫の兄姉、姪甥その家族等、25名集まりました。
有難いことです。

納骨・・・・

法要、納骨で、気持ちもだいぶ落ち着きましたが、
いざ、納骨となる数日前、急に寂しさに襲われました。

残された物体、遺骨に執着することなど考えてもいなかったのですが、いざとなったら「手放したくない」と思ってしまいました。

納骨する前に・・・
分骨して、手元供養することに決めました。

娘に相談、というより、報告すると
「いいと思う」と賛成してくれました。

「手元供養」という方法があることや、「ミニ骨壺」という小さな綺麗な骨壺がネットでも販売されていることも知りました。

すぐに注文して、納骨前日に、娘と「分骨」して小さな小さな骨壺の中に納めました。

これで、気持ちも少し落ち着きました。

たぶん
「ずっと一緒にいたい」という夫からのメッセージだったのだと、今はそう思います。

「グリーフケア」という言葉も知りました。
葬儀や四十九日等の法要も、グリーフケアになっているのだと思います。


大切な人との別れの喪失感や立ち直る時間には、人によって違いがあることもわかりました。

とても、言葉や文字で表現することは、できないということも、経験してやっとわかったような気もします。

今日は、ここまで。
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4月が終わります。

新しい5月が来ます。




少しずつ完了!

ブログの更新、久しぶりになってしまいました。

理由、言い訳はいろいろ。

怠惰であることが一番の理由?です。
ご心配おかけしてすみません。

目が悪くなったこともあります。
それは、次の記事にします。

今回は、気になっていたことを終わらせた話。

ひとつは、夫のフルート関連の友の会をやっと退会手続きをしたこと。
関連して、銀行口座解約したこと。

あまり使っていなかった口座からフルートの年会費が引き落とされていました。
いつか、退会手続きをしようと思いつつ、送られてくる専門誌を読むのが楽しみになって、停止のチャンスを逃していました。
電話で簡単に停止。
春の号を最後に、ちょうど4月の引き落とし前に退会できました。
メンバーズカードを郵送で返却しました。

銀行口座。
信用金庫の失敗は、記事にしました。
年金請求のお手伝いをお願いしたばかりに「口座停止」で相続手続きが必要になりました。
丁寧に説明を受け、家に来ていただいて完了。
その時、「他に口座ありませんか?」と内緒で対処方法を教えていただいていました。

ATMで小銭まで引き出せる、というのです。
すぐに実行しましたが、できませんでした。
定期預金があったらしいのです。
マイナスになっていました。
フルートのメンバーズクラブ退会もこれが決め手となりました。

もう一つ、引き落としになっていたのが、医療保険でした。
夫の通帳の残金で支払うのですから、それでいいと、そのままになっていました。
医療保険も、入院給付と僅かな死亡保険金を請求して完了していたはず。
引き落としと支給日が微妙ですが、もう気にしない。

でも、面倒なことになっていました。
大手の銀行では、なんだかよくわからない無担保のカードローンと連携して取り立て」をする仕組になっていたようです。
マイナスになった時点で「引き落としできない」という連絡があるとばかり思っていたら、連絡もなくカードローンで支払われるらしい。

銀行と連携した会社からの取り立て?
千円程度の額でしたが、びっくりしました。

口座をそのままにして置いた方がいいか、迷いましたが、相続の書類は整っていますし、経験済みです。
相続の書類はすぐ返却されます。
「このまま使えますよ」と信金のお姉さんに教えていただいていました。

ということで、銀行も相続手続きをしました。
大手の銀行は、専用の電話相談窓口があって、システムもしっかりしていました。
「金額が少ないので、簡単にして欲しい」という要望も聞いていただけて、相続人は私だけで大丈夫でした。

娘の実印も、と言われたら
「また~?」と娘に言われるところでした。

ひとりで、こっそり手続きしました。

スッキリしました。
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夫と愛犬そら

1月に夫、3月に犬が亡くなりました。

愛犬そらは、夫の死をなんとなくわかったのか、家の中の気配や変化も見ていたのでしょう。

葬儀の後から、みるみる衰えてしまいました。
最期は、食べなくなって水も飲めなくなりました。
それでも「生きたい。まだ死にたくないよ!」と私に必死で訴えました。
点滴するべきか迷いましたが、苦しみを長引かせてしまうように思えてできませんでした。
早く楽にしてあげたいと思いました。

穏やかな眠るような最期ではありませんでした。
もう力がなくて歩こうとしてもすぐ倒れました。
前日も立ち上がって支えられてオシッコをしていました。
排泄介助です。

体はすっかり衰えて立てなくなって、便が出てしまって、洗ってあげたのが最期の時でした。
綺麗にしてあげて「ちょっと見ていてね」と寝かせて孫娘に見てもらって、振り向いた時にはすぐ動かなくなりました。
最期まで「僕は死にたくないよ!」と声が出なくても口を動かしていました。
手をピクリとしたのが最期でした。

さくらさんのコメントで、ご主人が抱っこして泣いていたという場面。
私も抱っこして泣いていました。

これからも思い出すことでしょう。


そらが我家に来たのは17年前。
夫は、最初あまり気に入らず、睨みつけていました。
そらも、気が強いので、男同士睨み合って、ワンワン吠えて文句を言っていました。

犬は、家の空気が読めるらしく、夫の前では大人しく、私には甘えていました。
散歩好きは夫も犬も一緒です。
近くの公園や野山を良く散歩しました。
一緒に旅行も行きました。

犬と一緒に散歩する頃には、夫も発症していたのだと思います。
そのうち、犬を散歩させても、便を拾わなかったり、行動があやしくなってきました。

夫の夜の散歩が始まると大変でした。
夫がこっそり出て行くと、そらも一緒に飛び出してしまったことがありました。
そらの確保が先でした。

そらは、ひとりで出てひとりで玄関で待っていたこともありました。
夫の夜の散歩は開けられない鍵を使うことで、ほぼ解決していましたが、時々私のかけ忘れがありました。

夫がそらを散歩に連れ出し、どこでどうしたのか小さな怪我をして帰ってきたこともありました。
夫の症状も進行していました。

病気とわかっているのに、夫の言動に腹を立てて私が大きな声を出すと、そらは小さくなっていました。
FTLDの暴言暴力なんて、それは、我家では介護者の私の方でした。
「ごめんね。そらじゃないよ。怒ってないよ。」
と私も頭を冷やすことができました。
「あなたは治療が必要です。」と夫に言われると笑うしかありませんでした。

実家の父が入院中でしたので、夫にひとりで数日留守番をさせていました。
犬が心配でしたので、娘に頼むと「俺の息子だ!ここの家にいる」と連れて行くのを嫌がったそうです。
娘もまだ離れた所に住んでいました。

もともと、そらの飼い主は娘でしたので、病気の夫に犬の世話は無理、引き取って欲しいと思っていました。
孫がまだ小さかったので時期を待っていたら、いつの間にか大型犬を2匹も飼ってしまってびっくりしました。

大型犬ラブラドール2匹と娘一家が隣りに来て、もう7,8年。
孫が4人に増えて賑やかです。
そらは、隣りに建設中の時から「なんだよぉ」と怒って吠えていました。

隣りの玄関は、今まで静かだった我家のリビングの横を通過して出入りするのですから、当初はその都度「なんだよぉ」と吠えていました。
あまり力を入れて一日何度も吠えるからか、ヘルニアになって手術するほどになっていました。

ヘルニアの手術で可哀そうになったこと、夫が夜起きるようになったこと等もあって、そらも2階の寝室で一緒に寝るようになりました。

夫は、そらにご飯をたくさんあげてしまうのも困りました。
「あなたのは少ない。俺のご飯はたくさん食べる」と夫もそらも喜んでいました。
食べるのが大好きな2人は、ぶくぶく太り始めていました。

夫は、精神病院に入院して普通体形に戻りましたが、そらはしばらく太ったままでした。

精神病院退院後の夫は、そらを目で追って、何でも食べさせようとするのは変わっていませんでした。
お茶もそのままお茶碗を床に置いてあげようとしていたこともあります。
なんでも食べさせてしまうのは、困りましたが、そらは「ちょうだい」と全身で訴えるので、言葉のわからない夫にも伝わったようです。
ちょこんとお座りをしてウルウルの目で訴えたり「ちょうだいちょうだい」と後ろ足2本で立って手を合わせて拝むように振ったりしました。

車椅子になってからも一緒に散歩したこともあります。
小規模多機能の施設長さんが夫のリハビリのレクチャーをしようと座ると、チョコンと間に座ろうとして「待っててね」と言われていました。
訪問診療等の時は、洗面所や2階の部屋で待たせると「出してくれ~~」と戸を手でガシガシさせて訴えていました。
夫優先です。
何と訴えても騒いでも邪魔な時は、我慢してもらいました。

夫が1階の介護ベッドで寝るようになって、胃ろうにして退院後からは、私も下で寝るようになりました。
当然のように、そらは、私の布団で寝ていました。

夫が特養に入所してからは、もう夫の介護のために下で寝る必要はなくなりましが、
そらが深夜か朝方、起きて啼くようになってしまい、大人しくさせるため私も起きるようになりました。
まるで夫のように「僕、まだご飯食べてません。」などというのです。
リビングにソファーベッドを置いて寝ていました。
ベッドには、絶対そらは入れない、と決めていました。
もう、飛び乗る力はなくなっていました。階段も上り下りできなくなっていました。

そらは、早朝にご飯を食べて寝るのが日課になっていました。
鳴かなくてもご飯が貰えるからか、鳴けなくなっていたようです。

吠える力もなくなって行くようです。
夫の葬儀の頃、私が出掛けると「探して鳴いていた」と娘に言われました。
目も耳も悪くなっていました。

最期の2日間は、もう長くはない、と一緒に寝ました。

悲しそうな寂しそうな、苦しそうな声を時々出すので、その都度起き上がって様子を見るより、隣りでとんとんとするだけで楽かと横着な考えからです。
それでも、鳴かれると「どうしたの?」と灯りを付けて寝床を整え落ち着くまで見てました。
夫にはできなかった終末期の介護でした。

今日、狂犬病予防接種の通知が来たのを機会に、死亡の連絡をしました。
電話で、終わりました。

まだ、いない生活に慣れません。

キャベツを切ると、遠くから飛んで来るような気がしたり、ドアを開けっぱなしにすると外へ出ないかと気にしたり、どこかにいるような気がします。

娘の犬だったので、私はそれ程犬好きだったわけではなく、正直なところ「スッキリした」という感じもあります。
言葉は悪いのですが、命が終えるまでお世話ができたので「スッキリ」も許されると思います。

愛する夫も愛犬も(ここで愛するを付け足した)生を全うしました。

幸せです。

これだけ書いたら、スッキリしました。
読んでいただいて、ありがとうございます。

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愛犬も逝く

ついに愛犬も逝ってしまいました。

そら マルチーズのオス 17歳 3月24日大往生でした。

見事な最期でした。

夫が亡くなった後、急に衰えて、食べる量がだんだん減って、痩せてしまいました。

便が出にくくなって病院へ行った時に「脱水だから」と点滴をしました。

「いつでも点滴に来てください。」と動物病院では言われていました。

迷いましたが、点滴は結局この1本だけでした。
このままじっと見ていてあげよう、と、オタオタしながらも介護していました。

元気で気の強い子だったので、最期まで頑張っていました。

犬の17歳は大往生です。
良く頑張りました。


夫も犬も、いなくなりました。

「気配がない」という静けさに、まだ慣れません。
小型犬で殆ど寝ていましたので、まだいるような感覚もあります。
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何があっても桜は咲きます。

まだまだ・・・・

夫の死後のいろいろな事を、ひとつひとつ、あっちもこっちも、と優先順位がバラバラになりながら、進めています。
まだまだ、です。

年金の結果には、まだまだ時間がかかるそうです。
信金のお姉さんに年金事務所で手続きしてもらったのですが、書類が1枚戻ってきたそうです。
共済組合へ出さなければいけない書類だったので、郵送で提出しました。

誰かにお願いするということは、楽ですが、時間もかかるのかもしれません。

夫の年金の停止と残額の振り込みは、できると思いますが、私の年金が繰り下げしていたので、その手続きもあって、今後の年金と遺族年金がどうなるのか、時間がかかるようです。

相続の手続きは、急がないのですが、取り寄せた書類の有効期限もありますので、やらなければなりません。
夫の出生から結婚までの戸籍謄本が足りなかったので、郵送で申請します。
熊本県です。
やっと、取り掛かりました。

夫の特養の相談員さんから、電話。。。
「1月分の利用料が、入金できていません。」
うっかりしていました。
引き落としに使っていた口座は、停止されていました。
そういえば、退所の時聞かれたような気もします。
大急ぎで、お支払いします。

夫の納骨もまだです。

「百か日法要」をしてお寺の墓地に納骨の予定です。
準備も、まだまだ、いろいろ迷っています。

いろいろ、まだまだ、です。
パンジー.jpg

また地震が・・・

久しぶりの更新です。
前回の記事から、10日以上。。。。


特に書けない理由は、ありません。

書いておきたいこともあるのですが、書かずに過ぎています。

やらなければいけないことが、全部片付いた訳でもなく、相変わらずマイペースです。

久しぶりなので、何を書いていいのやら・・・です。

3月11日の東日本大震災から10年。
この日は、10年経っても震えます。涙が出ます。
家族を亡くされ、まだ遺体の見つからない方もいらっしゃいます。

「生きなきゃ。生きたくても生きられなかった人の分も。」
どんなに悲しい悔しい思いをしていることでしょうに、遺族のこの言葉に涙です。

と、また東北地方に地震がありました。
宮城県沖に津波注意報。

10年経っても、大震災の余震なのだとか。

子ども時代を東北地方で過ごしました。
地震は、いつもなので少しの揺れは平気でした。
今は、ドキドキしてしまいます。

地震、津波、被害にあって、命を落とされた方、その遺族の方はどれ程無念でしょうか。

それでも残された人の「生きなきゃ」という言葉。

なんでもない日常が、今は幸せに思えます。


愛犬そらは、頑張って生きています。
お別れの時は近いと思います。

夫にできなかった「最期の在宅介護」を犬にしています。
日一日と弱っています。
「救急搬送も延命もしない」と決めていましたが、便が出なくて可哀そうになって病院へ連れて行きました。
獣医さんに、摘便をお願いしました。
手技を見ていたら、人間と同じなので、私も家で、、できました。
でも今日は、もう殆ど食べない、飲まない状態です。

孫娘が、毎日心配しています。
「食べられなくなったら、ジイジみたいに管にするの?」
と聞かれたのにはびっくりしました。
そういえば、夫に胃ろう栄養を入れるのを近くで見ていたのでした。

「そうねぇ。犬は胃ろうはしないね。」
もう、そう長くはないという話もしました。
お葬式の話になったので「人間と犬は違う」と話すと
「同じ生き物でしょ!」と。
「そうね。でも、違うよ。」と子供相手に論じてしまいました。

大切な命であることに変わりはなく、感謝の気持ちを持ちたいと思います。
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3月 そらの誕生日

3月3日ひな祭り
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時の流れは速いです。
毎年、迷いながら慌ててお雛様を飾って、すぐ片付けです。

愛犬そら君のお誕生日でした。
そら マルチーズの雄 17歳になりました。

もう、すっかり老犬です。

寝ている時間が多くなりました。
葬儀等で人が出入りしても、知らんぷりで寝ていました。

環境の変化のためか、まためっきり衰えてしまったように見えます。

ヨロヨロと立ち上がって、トイレに行こうとして間に合わない時も・・・
ペットシートの範囲を広げたのに、そこですか??見事に外してくれます。

目も耳も悪くなりました。
呼んでも知らんぷりです。

自分の寝床が落ち着くようです。

元気いっぱいだったそら君も、すっかり大人しくなって、寂しそうな表情を見せるようになりました。
食欲がありません。
少しだけ食べると疲れるようです。

お別れの時がいつかやってきます。
いつか間違いなく穏やかな最期の日が来るまで、平穏でありますように。


夫が危篤状態になった1月15日の前日か、もう少し前か、「雪」というタイトルの下書きが残っていました。
といっても、写真だけでした。

今年は大雪。
7年前の大雪を思い出していました。
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2014年2月の大雪。
膝までの大雪でも「散歩」の予定は決行していました。
さすがに、短時間で戻ってきましたが、翌日も「散歩」でした。
電車に乗ってハイキングも決行。
私も一緒に歩きました。
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夫の姿を面白がって写真に撮っていました。
「孤独な介護」は、ブログに書くことで救われていたのかもしれません。
ケアマネさんから、精神病院への入院を勧められていました。

大雪の後、雪かきをしてからの発表会。2014年2月。
入院していたら、この姿はありませんでした。
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夫がフルートを吹いた最後の日でした。
楽譜を夫の棺に入れました。
たくさんの書き込みのある楽譜でした。


夫が亡くなってからは、忘れかけていた元気だった頃の夫の姿も少し思い出せるようになってきました。
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新発見?

「新発見」と思って、記事にしようと思っていましたが、知ってから時間が経つと、新発見でもなく、私が知らなかっただけだと気づきました。
それでも、記事に残して置こうと思います。
遺族年金のことです。
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こうなってみないとわからない、というのは私だけ?
かもしれません。

そもそも、遺族年金とは?
遺族基礎年金と遺族厚生年金の違い。
遺族厚生年金の受給資格。

と、調べてわかることが、ありました。

葬儀直後は、気力もなく、信金のお姉さんを頼ってしまいましたが、時間は、思い通りに行きません。
自分で調べる時間と余裕ができました。

知らなかったことを知るのは興味深々。

自分の生活に関わる年金を、どうして自分で手続きせず頼んでしまったのかと思う程、気力と好奇心が復活!。
年金の計算は複雑。でも、どうしてそうなるのか調べて納得したい。

「遺族年金の新発見」
①男女不平等?
遺族年金は、専業主婦だった妻が生活に困らないための年金だということ。
つまり、夫は働いて、妻を扶養するのが当たり前で、だから、夫の死後困らないように、という年金。
夫の厚生年金の4分の3を遺族厚生年金として受給できます。
どんなに高額でも非課税です。
妻が働いて、夫が専業主夫だった男性の場合は、55歳以上という条件があります。
女性には55歳以上という年齢の条件は、ありません。
「男女の差」不平等のように思います。

②共働きは損?
共働き、高齢者の私の場合です。
65歳以上の共働きだった妻。老齢基礎年金も老齢厚生年金も受給資格があります。
そして、今回遺族年金の受給資格もあります。
(住所が別、世帯が別でも生計同一だったという第三者の証明が必要でした。)

何年か前までは、遺族年金と自分の厚生年金とどちらか選択できたそうです。
(遺族年金は、非課税になるので)
今は、遺族年金と厚生年金を自分で選択することはできません。
自分の厚生年金の受給が優先されます。

計算式もありました。

夫の厚生年金の4分の3
夫の厚生年金の2分の1+自分の厚生年金の2分の1
そのどちらか多い方から自分の厚生年金を引いた額が遺族厚生年金です。

当然、自分の厚生年金は課税され、遺族年金は非課税です。

と、だいたいここまで調べると、金額も気になりますが、その仕組み、制度がどうなのかな?
と「新発見」どころでなくなってきました。

私の場合、遺族厚生年金は、貰えないか、ごく僅かであることがわかってきました。

金額が増えることを楽しみにしていた老齢基礎年金の繰り下げも停止になって、受給手続きをしました。
自分の年金で生活しなくてはなりません。

「不平等」は世の中どこにでもあることなのかもしれません。
それでいいのかもしれません。

「男女不平等」は、将来的には改正されるでしょう。
でも、このままでは、年金制度そのものが崩壊してしまうかもしれません。

まだ、私は年金受給できるギリギリの世代なのかもしれません。

「新発見」になるのか、今になって気が付いたのは、夫と私の二人の年金で生活していたその金額の半分の金額で生活していかなければならないということです。
夫が、亡くなってしまったら、払っていた年金でさえ、当然のように貰えない!

な~んだ、ひとりになったのだから当たり前!??
「何やってるのぉ」と写真の夫が笑っています。

信金のお姉さんが来て、年金事務所へ行って書類を提出してくださるそうです。
凍結された夫の口座の相続手続き書類も整え提出しました。

ひとりになるって、まだまだ大変です。
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神経内科の先生の所へ

2月18日(木)
前頭側頭葉変性症つくしの会のえいさんのご好意で、神経内科の先生の所へ行くことができました。
お世話になった先生にご挨拶ができました。
えいさんに感謝です。
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夫が亡くなった病院は、長く通院していた病院でした。
今回の入院で、神経内科の主治医の先生も口腔外科の先生も夫を病棟まで診に来てくださっていたそうです。

4年前、2017年3月のその入院時、病棟担当で重症の肺炎を救っていただき、胃ろうを勧めてくださった神経内科のF先生。
私の不安も受け止めてくださった先生。
入院の手配をしていただいたそれまでの主治医の先生は定年退職なさったので、退院後F先生に夫の主治医になっていただきました。
とても、とてもお世話になりました。

「この病気のことは専門でないので、お話聞くことと書類を書く事しかできませんよ。」と言いながら、とても良く話を聞いてくださるし、お願いすると湿疹の薬等もすぐ出してくださる、書類はすぐに書いてくださる、私の疑問には、すぐ調べて答えてくださる、という素晴らしい先生でした。

主治医を探していたえいさんにもご紹介して以来、共通の話題も多くなりました。

今回、えいさんの奥様の受診にちゃっかり同行して、先生に会わせていただきました。

夫は、日曜日に亡くなったのですが、月曜の退院時には、先生も見送ってくださる予定だった、とえいさんからも聞いていました。
ご挨拶できないままでは、私も心残りでした。

診察室で笑顔で迎えてくださいました。
「退院するって聞いて、奥さんらしいな、と思っていましたよ。」と言われました。
私は、病棟の先生にすぐに動いていただけたこと、看護師さんの対応も良かったことなどお礼をいうことができました。
目で追っていた、という夫らしい姿も聞くことができました。

感謝の言葉は、消えてしまわないように、短い手紙にして「ラブレターです。」と渡しました。
白い封筒を渡すと「お手紙だけでしょうね。」と笑いながら仰って「こういうの大事に取ってあるんです。」と嬉しそうに仰るので、朝大急ぎで書きなぐった手紙は恥ずかしくなりましたが、お礼の言葉を残して良かったと思いました。
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パンジー綺麗に咲いています。

1か月が過ぎました。

令和3年1月17日に夫が73歳で亡くなって、1か月が経ちました。

どんな感じか?
どういう暮らしをしているのか?

初めての経験が多くて、戸惑いも新発見もいろいろ・・・

手続きも当初の「やらなくっちゃ」という強迫観念から少し弛んで、「なんとかなりそう」という感じ。

「夫がいない」ということは、なかなか大変だということにも、やっと気が付き始めたところ。
当たり前ですが、初めて経験することです。
経験者である介護仲間が「これは貴女に」とお花を持って来てくれました。
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(パソコン越しに撮ったお花。実物はもっと綺麗でした)
彼女に会うのはコロナもあって、久しぶりでした。
「ちゃんと食べてる?」「寝てる?」と聞いてくれました。
有難いです。
私は、元気です。

娘がお花を買ってきてアレンジして飾ります。
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お花の色もだんだん明るい春の色になってきました。
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祭壇も飾っています。
お花に癒されています。

「新発見」は次の記事にします。

保険金

残念ながら、高額な死亡保険金はありません。

病気だったからなのか、誰でもそうなのか、いつ頃のことだったか、そういう時期だったのか、高額だった生命保険を夫は、私に相談することなく解約してしまいました。
相談されたかもしれませんが、反対はしませんでした。

解約金は、金のフルートになりました。
国産の普通車より高いかもしれない金額です。

夫の生活に生きがいと潤いを与え、ほんとうにこれで良かったと思います。
何千万、何億というお金にも替えられない、比べられない価値あることだったと思います。

その大きな生命保険解約の後、入った都民共済の保険には、入院でかなり助けられました。
申請がとても簡単でした。
そうそう、夫が最初に「網膜剥離」で入院した時は自分で申請して下りた保険金を私に「上げるよ」と渡され喜んだことを思い出しました。
70歳を目前に高度障害を申請して、死亡保険金も受け取りました。
これも、とても良かったです。

もうひとつ、
医療保険が残っていました。
夫は「ガンになる」予定だったらしく、いわゆるがん保険に医療がプラスされていました。
一般の入院でも保険で補償されます。
精神病院入院等では、大いに助かりました。

でも、もう入院はさせたくない、と思った時点で解約も考えていました。
毎月の支払に見合った補償なのか疑問に思いながらも、夫の口座から引き落とされるまま今になりました。

今回の入院は短期間ですので、請求は領収書だけで簡単です。
死亡保険金は、ごくごく僅かです。

最後の、ほんとうに最後の保険の受け取り手続きが完了します。
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前頭側頭葉変性症つくしの会 2月定例会

2月11日(木)
久しぶりのリアル定例会でした。
Zoom定例会では、遠くから参加される方もいて、場所の移動も感染の危険もなく良いこともありますが、やっぱり、実際に会ってお話するのが一番です。
良かったです。

8人の出席でした。

初めての参加の方も2名いらっしゃいました。

ゆっくりお話できました。

私も、夫の亡くなるまでの経過を簡単にお話しました。

前頭側頭葉変性症の独特の症状のために、周囲になかなか理解されず、行き場所がない、というお話や、医師にも理解してもらえず困ったという話は、まだそのようなことがあるのかと胸が痛みました。
デイに喜んで通っているお話を聞くと、とても嬉しく思い、受け入れていただける所が各地にあって欲しいと思いました。
行方不明になったお話は、FTLDあるある話で、その工夫や対応「警察は優しい」というお話に共感しました。

全国に会員さんが増えて、50名以上になりました。
独特の症状に戸惑い、周囲に理解されず、孤独な思いをなさっている方も、まだまだいらっしゃると思います。

定例会に出席できないとしても、ここに仲間がいること、毎月仲間が集まっている会があることをお知らせしたいと思います。
http://yamatosakura2016.blog.fc2.com/
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口座凍結?・・失敗!

銀行口座等、故人の口座は、死亡の申し出がない限り、凍結されることはありません。

生前に、少しずつ自分の口座へ移す。
死亡後、自分の口座へ移す。

といった作業は、ほんとうはいけないことですが、やらなければ面倒なことになる、とわかっていたつもりでした。

丸っきりやらなかったわけでもないのですが、まだまだ、後で、とか、引き落としがあるから、と理由をつけて、残っていた夫の口座の残金。

とんだミスをしてしまいました!

夫の死亡後にやらなければいけない手続きの中で、遺族年金の請求がありました。
書類を揃えて書けばいいだけなのですが、近くの信金の年金担当のお姉さんに以前から「ご相談に乗ります」と言われていました。
私は自分の年金を繰り下げにしていましたので「支給請求はいつでもお手伝いします。」と言われていたのを思い出しました。

書類を書けないこともないけれど、スタートする気力がないので、側で手伝ってもらえたら、と思ったのです。

なんという失敗!
「夫が死亡したので遺族年金の請求を手伝っていただきたい」と言ってしまったのです。
「それでは、ご主人様の口座は本日停止しますね。」・・・・・
それは、そうなりますね。
同じ信金なのだから、当然そうなることに、やっと気がつきました。

公共料金の口座変更や、お金の移動も同時進行していましたので、電話はもう少し後にすべきでした。
知らなかったわけでもないのに・・・・。バカね~。
あともう少しだったのに・・・・。

失敗!失敗!
これが「口座凍結」です。

正式な相続が決定するまで動かせなくなりました。

夫の口座です。
年金の受け取り、特養の支払い、自宅の公共料金等の引き落としに使っていた口座です。
そのために、と残してあった額が思ったより多くて、面倒な相続手続きが必要になってしまいました。
額が少なければ、簡易手続きで良いのだそうです。
もし、もしもこの口座のお金が生活資金の全てだとしたら、もっと困っていたと思います。
自分の年金で生活していかなければ、と少しは考えて、少しは、少しは準備もしていたつもりでした。

仕方ないです。

土地、家屋の相続手続きもありますので、必要書類は用意します。

本籍地は、都区内の夫の両親が住んでいた場所です。
戸籍謄本を、郵送で請求して、今日やっと届きました。
「生まれてから死亡までがわかるもの・・・」
改正原戸籍謄本というのも法定相続で必要なので、送って貰いました。

娘にも、印鑑証明や戸籍謄本等、取って貰い、書類の記入もして貰いました。

年金請求や相続手続きは、これからです。
年金は、急いだ方が良いそうです。

年金担当の信金のお姉さんが、年金事務所に聞きに行ってくれました。
書類を完成させます。
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死亡後の役所関係手続き

《障害福祉課・高齢福祉課へ》
特養のすぐ近くの総合センターに障害福祉課と高齢福祉課があります。
ここへ行くのは、足が重い。
制度の手続きで何度も通った場所。
最後の手続きは、あまりにも簡単でした。
事務的に書類を記入して終わりました。
手帳、介護保険症等、それぞれ返却しました。

《市役所へ 保険年金課・課税課》
本庁勤務職員は、さすが対応が良かったです。
後期高齢者医療証の返却や、葬祭費申請等、事務的な事が一通り終わると、「他にお困りのことはありませんか?」と聞いてくださいました。
何から手を付けていいかもわからず、戸惑っているのですから、この言葉は救われました。
「年金のことは、電話で聞いて見ますが、土地家屋の相続手続きがわからないのです。」とここで聞いても、と思いながら言ってみると、「ここではお答えできませんが、課税課の方で何かお役に立てるかもしれません。聞いて見たらいかがでしょうか。」と課税課の場所、隣りといっても少し距離がある場所を示し、私がお礼を言ってそちらへ向かうと、カウンターの中で後から移動して、私より先に係の方に取り次いでいただけました。

こういう対応、福祉課でも欲しい!と思いました。
障害福祉課と高齢福祉課は、すぐ、すぐ隣りなのに、知らんぷり。
酷い時は、同じ障害福祉課でも担当が違うからと答えて貰えない。
福祉の制度は変更もあって複雑なのだから、機転の利く職員を配置していただきたい。
そう、最初、介護保険の申請に行った時、自立支援の申請もする、と話をしたのに「隣りでできますよ。」という案内もなく、遠く離れた保健センターへ行ってしまったのを思い出しました。

なので、隣りの課まで足を運んで取り次いでくださる対応には「こうでなくっちゃ」と感心しました。
課税課の対応もまた良かったです。
一般的な法務局出張所の案内の紙を渡してくださったばかりではなく、固定資産税の口座振替の変更もその場でしていただけました。
さらに、他にも市役所関係で引き落としになっているか調べていただけました。

役所関係は、思ったより時間もかからず終わりました。

年金と土地・家屋相続関係が、まだです。

失敗も・・・・・次回、書きます。
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葬儀後 いろいろ

「死亡届を提出された方へ」という案内と「死亡届、死亡診断書」のコピー数枚を葬儀社さんから渡されていました。
葬儀が終わってから、と手続きはしていませんでした。

葬儀は日曜日。
翌日から動き始めました。

忘れないように、思い出したことを書いておこうと思います。
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《特養》
最初に行ったのは、夫がお世話になった特養です。
娘が「ハンチングを被せたい」と衣類等を取りに伺っていましたが、私は夫の死後、ご挨拶もできないままでした。

夫が暮らしていた特養に行く事は辛いことですが、ここからスタートしたい、と思いました。

相談員さんが入所した時と同じように相談室で対応してくださいました。
いろいろお話した内容は、詳しくは覚えていません。
感謝の気持ちをお伝えできたと思います。

相談員さんも、初めて自宅に来てくださった日の事を良く覚えている、とか、
「奥様からは、いろいろ学ばせていただきました」とか・・・。
お話できて良かったです。

ちょうど施設長さんにもお会いして、ご挨拶ができました。
「コロナのせいばかりにはできない。」と、とても心を痛めていらっしゃる様子で、お疲れのようにお見受けしました。
「ここは刑務所か?と言われた」とか。。。
つい「その通りです。ぜひ面会の緩和をお願いします。」と力をこめてしまいました。

思い出しました。
コロナでなかったら、救急搬送することなく、穏やかな看取りをここでしたかった、というお話をしました。
「看取り」については、ずっと考えて来たことでした。
積極的な医療治療はせず、特養でできる医療介護と私のできることで、看取りたい、と思って伝えてありました。
夫のフロアーには、セミパブリックルームがあって、家族が寝泊まりもできるようミニキッチン、バストイレの設備もありました。
「コロナのこの時期でなかったら・・」です。
お世話になったスタッフの皆さん、特に看護師さん達には、夫も信頼を寄せ、安定した生活ができたことに感謝です。

感謝の気持ちを上手く伝えられたか・・・・。
また、機会を見つけて訪ねてみようと思います。

会葬礼状

葬儀に参列してくださった方にお渡しするお礼状。
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決まりきった一般的なお礼状でも良いかと思っていましたが、
葬祭センターオリジナルの会葬礼状を無料で作っていただきました。

数分、電話でお話しただけでしたが、プロのライターの方が私の希望通り、素晴らしい文章を作ってくださいました。
友人からいただいたお花のお礼にも使えるようにしていただきました。

記録に残したいと思います。

「お世話になった皆様へ心より感謝申し上げます」

在りし日を偲び そっと瞼をとじれば、夫の奏でるフルートの音色が
静かに響いてまいります。音楽が好きで、様々なメロディに触れては
心豊かな時間を過ごしておりました。 元気な頃は登山にも出掛け
夫婦であちらこちらを旅行し 笑みを交わし合ったことも懐かしく
よみがえります。良きご友人にも恵まれ、皆様との交流はいっそう
夫の日常を彩ってくれたに違いありません。笑顔に満ちた、そんな
毎日に変化が訪れたのは十二年前のこと。前頭側頭葉変性症という
病名を告げられ、戸惑う私たちに多くの方がお力添えください
ました。なかでも、病を通じて知り合ったお仲間方にはたくさん
励ましのお言葉を頂き、どれだけ心強かったか・・・。お世話になった
施設関係、特別養護老人ホームのスタッフさんにも本当によくして
頂きました。ほかにも夫を見舞ってくださった方、来られずとも温かい
お気遣いをくださった方、支えてくれた親族など、皆様のおかげで
夫はここまで頑張ってくることができたのだと感謝は尽きません。

病院の先生や看護師さんも最後まで尽力くださり、令和三年一月
十七日、夫は、○○○○は、享年七十三歳にて生涯をとじました。
別れは寂しいですが、数々のご縁が織り優しき道のりを歩み
長き闘いを終えた夫を、今は心からねぎらってあげたいです。
受け賜りました多大なるご厚情、ご供花に深く感謝を申し上げます。
本日はご多忙中 足をお運び頂き、誠にありがとうございました。
略儀ながら書状をもって謹んで御礼申し上げます。
令和三年一月二十六日
              喪主  ○○○○

1月26日 葬儀

2021年、1月26日
一日葬
本来ならお通夜、葬儀となりますが、コロナのこの時期、遠くからの参列の負担を考え一日葬と決めていました。

事前に相談した時は、まだ緊急事態宣言前でしたので、会食も可能でしたが、緊急事態宣言が出て館内での飲食はできなくなってしまいました。

コロナウィルスの感染者数という数字が増える中、感染防止策で、葬儀の形式も変わらざるを得ないように思います。

ごく質素なお葬式にしたいと思っていましたが、会場が希望した小式場より大きな中式場となったため、少しランクを上げ、娘の希望の「花は緑で」と難しいリクエストにも答えていただき、夫らしい祭壇でした。

娘一家の大きな車に乗せて貰って、式場まで行くと、早い時間にもかかわらず、夫の兄夫婦、甥、甥夫婦、夫の従姉とそのご長男、従姉の長女、と親族が見えていて、びっくりでした。

予定の人数より多くお集まりいただくことがわかって、慌てて、娘に「人数数えて」と頼みました。
火葬の休憩室の用意の都合です。
お食事は出せませんが、飲み物の用意があると聞いていました。

式の前後、娘と作った「思い出のコーナー」を見ながら、久しぶりに会う夫の親族の方々ともお話でき、良かったです。

親族は、孫世代まで含め、約30人近くになっていました。

一般の方は、前頭側頭葉変性症つくしの会の会長えいさん、大先輩のMさん、ご近所の親しい方数名でした。

ご住職が見え、白木の位牌に希望通りの法名が書かれているのを見せていただき、お寺からお香をいただきました。
ご住職の控室で「本日はよろしくお願いいたします」とご挨拶をして、お布施、お車代、お膳料をお渡ししました。
本来なら、葬儀が終え、お礼参りにお寺に伺うべきですが、失礼させていただき、初七日の法要も行っていただくお礼のご挨拶も緊張しながら申し述べました。

喪主として、やることがたくさん。
開式前に、司会者がスピーチで夫を紹介したいので、と夫の事を短くお話しました。
娘が途中から加わり、コンサートや美術展に連れて行ってもらった話、スキーに夢中になって、毎週のように連れて行かれた話などしました。
そんな時もあったな~と思い出すことができました。
「穏やかな方だったのですね。」と聞かれると、娘は「穏やかではない。厳しいというより、こだわりが強かった。日曜日の朝、テレビの漫画を見せて貰えなかった。」と。。
私は、当時の娘の気持ちに全然気付かず、休日の朝は、私だけ寝坊をしていたのかもしれません。
ひょっとしたら、夫の病気は、ずっとずっと前からだったのかもしれません。
娘は、自分勝手で頑固とも思える父の行動に、傷つくこともあったのかもしれません。
夫や娘が繊細な心を持っていると知っていても、大雑把な私は深く考えることもなく、平然と暮らすだけでした。

司会者のスピーチは、良くまとめられていました。
仕事も趣味も真面目だったこと。
フルートは娘が引き継いでいること。等‥
綺麗にお話していただけました。

ご住職のお経 お焼香 お説教・・・
自然と涙が出ました。
隣に座っていた夫のお兄さんが、膝に置いた両方のこぶしを振るわせているのが見えました。

響き渡る良いお声のお経を聴いて、伴奏のように変わるころ、ご住職がお焼香のサインを送っていらっしゃって、係の方が気が付かないのか、でも、ここで案内もなくお焼香に立てない、と、数回サインを見送った頃、やっと後ろから「おひとりでお焼香を」と小声で案内されました。

故人に近い順からのお焼香。
静かに、進められ、皆さん深々と頭を下げられるので、失礼のないように、お焼香の様子を目に入れさせていただきました。

導師退場の後、扉が閉まり、そこで、葬儀社からのサプライズプレゼント!

ヴァイオリンの生演奏です。

事前に相談があって、リクエストもしてありました。
奏者の都合もあるので、サプライズにしてあるのだそうです。
通常はフルート演奏だそうです。

1曲目は娘のリクエスト「ジュピター(木星)」
次は私のリクエスト「いのちの記憶」です。
歌詞がとても良い曲ですが、歌詞を思い浮かべ、涙が溢れました。
https://youtu.be/Z7GrWfQq2_w

同時に弔電披露があって、前頭側頭葉変性症つくしの会の仲間からのメッセージが読み上げられ、有難く、涙、涙でした。


ヴァイオリンは、ずっと聴いていたい程でした。

もう1曲「愛の挨拶」もリクエストしました。
たった1度、夫のフルートに私が伴奏をした時の曲。
発病後の1度だけの思い出のデュオでした。

棺にお花を入れる時、BGMのように演奏していただき、ヴァイオリン独特の響きが心に残りました。

生演奏で見送られる葬儀、良かったです。

この葬儀社Kさんにお願いしてほんとうに良かったと思いました。

喪主の挨拶は、涙をこらえてお礼を言うのが精一杯でした。
もっと、いわなければいけない文言もあったはずですが、飛んで行ってしまいました。
感謝の気持ちだけは、言う事ができたと思います。
「ご親戚の方でも・・・」と葬儀社さんは言ってくださったのですが、挨拶は下手でも自分で言いたいと決めていました。


葬儀は、心の整理をつけるためにも必要な儀式だったように思います。

お蔭様で葬儀が無事終わりました。

10日も経って、思い出して書いていますが、なかなか思うように書けません。
忘れてしまったことも、書き忘れていること、書けないこともあります。

続きも、書こうと思います。



出棺 安置所 面会

17日の旅立ちから26日の葬儀まで9日間、とても長いと思いましたが、夫の写真をゆっくり選ぶ時間もあって、良い時間でした。

ただ、家での後半2日間は、気温も下がって冷房を入れなくても十分に寒かったです。

2階に避難して暖房を入れ、アルバムやパソコンに取り込んだ写真を眺めていました。

遺影に使う笑顔の写真も見つけました。

私があまりにも寒がっているので、娘が「家に来たら?」と言ってくれましたが、大型犬2匹と孫4人では、長居できません。
夕食だけは、ご馳走になっていました。

21日の午後1時、家から出棺です。
ご近所の方が見送りに並んで待っていました。

家の敷地が狭いため、棺を高く持ち上げて回転させなくてはなりません。
そのこともあって、安置所での納棺を提案されていたのですが、有力な助っ人がいますから、と納棺は家でしました。
男性二人必要と言われ、婿殿と、もう一人・・・つくしの会会長えいさんにお願いしました。
えいさんには、棺を担ぎ出すだけのために来ていただいて、有難く申し訳ない気持ちでした。

えいさんとご近所の方に挨拶をして、見送っていただき私は寝台車へ、娘達は車で安置所へ向かいました。

娘が生まれる前まで夫と住んでいた場所の近くにその安置所はありました。
運送会社の倉庫のような場所で、まだ葬儀社としての看板はありません。
ここで、簡単な葬儀もできると聞いていましたが、納棺をここでお願いしなくて良かった、と思う場所でした。

丁寧にお参りさせていただきました。

姪が葬儀には出られないので、その前に「叔父ちゃんに会いたい」と面会を申し込んでくれました。
その時には、一緒に面会しょうと娘と話し、その時納棺師さんも最後の手直しに来てくださると聞きました。

納棺師さんは、とても良い方だったので、もう1度お会いできる、と嬉しく思いました。
お父様が同じ病気らしい、とKさんから聞いたのですが、詳しくは聞きそびれてしまいました。
だから、優しく家族にも寄り添う言葉が自然に出たのでしょう。
残念ながら、面会予約を変更したので、会うことができませんでした。

姪夫婦は24日日曜日の面会予約でしたが、雪の予報があったので、23日午後に急遽変更しての面会でした。
前日は、予約なしで、えいさんをご案内してしまい、お参りの準備ができていなかったので「いいです。いいです。」とそのまま帰ってきてしまいました。
裏口の倉庫から、えいさんをご案内してしまい、冷蔵庫と冷たいコンクリートの部屋だけを見せ、ショックを与えてしまったと反省しています。

姪夫婦は、入り口から案内して、すぐに祭壇が用意されていて、棺の蓋がずらされて、上半身の夫を良く見ることができました。
「いいのかしら?」というくらい長い時間面会もできました。
その後の冷蔵庫までは、振り返らずに後にしました。

姪夫婦には、自宅にも来てもらいました。
夫が好きだったスペインの赤ワインもいただきました。

忘れていたスペインのトーレス!懐かしい!
黒い闘牛のマスコットが付いていて「ねえ、覚えてる?」と娘に聞くと
「覚えてる。集めていた!」と歓声を上げました。
もうずいぶん前のこと。どちらかというと若く荒っぽい味ですが、スペインの独特の香りのするワイン。
だと記憶しています。(私の好みではなかった)
そのワインを夫は好んで飲んでいた時期がありました。
覚えていて、持ってきてくれた姪に感謝!

当たり前ですが、姉の最初の子である姪は、私より前から夫に会っています。
長いお付き合いは、姪の年齢と同じ年月。
生まれた時、子供の頃、大人になってから、夫の発症後も・・・
感謝、感謝です。
姪は、葬儀の日、たまたまこの日だけ抜けられない仕事で欠席になって、残念でしたが、ゆっくりお話ができてほんとうに良かったです。
姉夫婦の事も長女として気遣っている様子が伺え、私も思っていたことを少しお話できました。
孫達にも会っていただき(4番孫と婿殿お昼寝中)娘もお話できて良かったです。

葬儀の写真コーナーのボードも、この頃にはほぼ出来上がっていました。
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娘の力作。100均のお花もなかなか良い!

葬儀まであと数日。
娘宅で夕食をご馳走になり、素早く家に戻る毎日でした。

美容院にも行き、買い物もできました。
壊れていたオーブントースター、加湿器も買いました。

長いと思った9日間でしたが、ゆっくり葬儀の準備ができて良かったと思いました。

枕経・納棺

19日 枕経・納棺

菩提寺は、都区内です。
思いがけず、ご住職から枕経のお申し出があって、喜んでお願いすることにしました。
納棺の時間を予定より少し遅くしていただきました。

ご住職は二代目、娘よりやや年上、まだお若い。
都区内から車を運転して来ていただきました。

枕経は、まるで歌うようなお経が心に沁みました。
元住職にも負けない良く響く声でした。

法名についての希望を聞かれ、俗名と同じ名前にして欲しいとお願いしました。
浄土真宗ですので「釋」という字の下に俗名と同じ名前です。
とても気に入っているので残したい、とお話しました。
「調べて、考えて見ます」というお返事でした。

ご住職の到着が事故渋滞で遅くなってしまい、葬儀社さんと納棺師さんが外で待っていました。

納棺師さんは、素晴らしかったです。
外れた顎を戻すのは、難しかったと思いますが「見ているとお辛いと思いますので」と見ていない間に口を閉じさせました。
その後は、側で私達にも手伝わせてくださって、家族に寄り添う言葉がけもしていただけました。

娘の強い希望で、白装束は着させたくない、と衣装を選んでありました。

お気に入りのオールブラックスの黒いラガーシャツを着せたかったらしいのですが、とっくに処分していたので、明るいブルーのラガーシャツ、お気に入りのハンチング帽等も用意しました。

納棺師さん、体が固くなっているのは、普通の硬直と違って病気のためだということの区別がつくのだそうです。
「ここ、クセがあるんですね」と頭を見て微笑みかけたり、靴下を娘夫婦に履かせるように渡して「色を選んだのですね。」と話しかけてくださったり、脱がせたパジャマも、残されますか?と聞いてくださり、不要なら持たせてくださると仰って、その話し方も優しく、とてもゆったりとした良い時間でした。
綺麗な布を夫にふんわりとかけただけで、肌が見えないようにしながらの着せ替えも見事でした。
シャツが少しきつくて「ごめんなさいね」といいながらでしたので、私も引っ張るのを手伝わせていただきました。
最後の着替え介助ができて嬉しかったです。

「お化粧、しなくても良いくらいですけど」といいながら綺麗に口紅も塗って、整えていただけました。

私の父の時は、別室で待たされ、無言で最後に少しだけ紐を結ぶとか、その程度でした。
娘はその時の白い衣装が嫌だったと、夫に相応しい衣装を主張しました。

私は、どうでも良い事だったのですが、一緒にラガーシャツ、ズボンを「これがいい」と一緒に選んで良かったです。
この時、夫の物を着ないからと全部処分してしまわないで良かった、と思いました。

白い布張りの棺に夫は入りました。

「白雪姫みたい!」と孫娘が言いました。

3番孫は、自分の描いた絵が入っているのを確認していました。

「何か入れたい物があったら、用意しておいてくださいね。」といわれました。
写真等もいいのだそうです。愛犬の写真や、山の写真も入れました。

葬儀社の担当Kさんに「素晴らしい納棺師さんでしたね。」とお話すると、
「家族の前で、見事に着せ替えができるのは、彼女だけです。プロの中でもトップです。」とのこと。
こんな素晴らしい納棺がプランの中に含まれているのですから、この方にお願いしてほんとうに良かったと思いました。

枕経とこの納棺で、随分気持ちもスッキリとして、清々しい気持ちになれました。

娘が珍しくフルートを聴かせてくれました。
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姉夫婦へのお礼も込めて、父の残した金のフルートでの演奏。
夫の繊細な音色とは違う、娘らしい音色と唄い方でした。

この後、姉夫婦が帰ってしまうと、一段と寒~い寒い夜になりました。
仕舞い込んであった電気毛布を思い出して引っ張り出し、お風呂に入って暖まると朝まで眠れました。

葬儀までのこと

17日に亡くなって、葬儀は26日

9日間をどう過ごすか。

葬儀社さんは「ご遺体のためには、早い納棺、安置所で」と勧める。

葬儀場の安置室は、24日まで空いていない。
民間の安置所が近くにあって、面会も可能という。

肉体に未練のない私は、できるだけ家にいて欲しいという娘の気持ちを尊重することにしました。
いつまでならいいのか話し合って決めました。
ご遺体が傷むのは、嫌なのですが、ドライアイスを抱え、暖房はもちろん入れられず、冷房を入れて過ごさなくてはなりません。

追加のドライアイス代と民間安置所の料金と同じだから、と葬儀社さんは安置所推薦でした。
妥協できる日を納得して決めました。

納棺は、19日。
民間安置所へ21日午後、家から出棺。
葬儀場安置室へ24日移送。

つまり、家に4日、民間安置所に3日、葬儀場に2日の合計9日です。

家に置いても、納棺は早い方がいい、というので、納棺は19日。


18日㈪は、退院予定日でしたので、訪問診療の先生、訪問看護師さん、ケアマネさんに連絡をしました。

前頭側頭葉変性症つくしの会の会長えいさんが、お焼香に来てくださっているところへ、ケアマネさんが見えました。
介護保険症を届けていただき、夫にも会っていただきました。
まだ初期の頃お世話になった方でしたので「まあ~あの頃は日に焼けていたのに、こんなに白い良いお顔」と言っていただけました。
お仕事柄、ササっと用事だけで帰って行かれました。
介護ベッドは、直接業者に連絡をして取りに来る日を決めるよう言われました。

ケアマネさんも、医師も看護師さんも準備をしていただいて、ほんとうに有難く申し訳なかったです。

在宅酸素も先生から連絡が行き、直接取りに来る日を決めました。

介護ベッドは1か月単位なので、使わなくなった時点での連絡。

納棺後も介護ベッドを使うことにして、その後引き取っていただきました。

18日の夕食は覚えています。お鍋です。
18、19日は用事があって忙しいという夫のお兄さん夫婦が、夕方から見えて、一緒に食事をしました。
お兄さん夫婦、お姉さん夫婦と私。
蜜ですが、高齢者同士ですので、気にしない。
暖房が使えないのがお気の毒で、体調を崩されないかと気になりました。

そう、そうこの日は、お兄さん夫婦が帰った後、仕事から帰ってきた婿殿と娘が来て、お姉さんの旦那様とずっとお話が弾んでいたようです。
お姉さんは、お風呂あがりで参加。私は途中でお風呂に入らせて貰いました。
お話をする機会もあまりなかったので「遊びにおいで」とお誘いもいただいて良かったようです。

コロナの緊急事態宣言中でなかったら、もっと賑やかに集まってお話もできたのではないかと思います。
いつか、安心して集まれる機会も作りたいと思っています。

興奮したまま、18日は過ぎました。

退院するはずだった日、1日も在宅介護はできず、自宅で看取ることも叶いませんでした。

娘の言葉を残します。

「お父さんは、お母さんに家で大変な思いをさせたくなかったんだよ。病院がいいって決めたんだよ。」

そうなのか~~そう思うと救われます。

夫は、慣れた病院で、主治医の先生や、口腔外科の先生にも診ていただき、退院の時は見送りまでしていただける予定だったと聞きました。
叶わなかったのは、残念ですが、夫が決めた事。
夫らしい最期だったと褒めてあげることにしました。

これで良かったと思います。
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1年前、一緒にスイスへスキーに行った友人からお花が届きました。

夫が逝った日 その2

17日は、阪神・淡路大震災の日
皆に、忘れられない日になりました。

日曜日でしたので、娘が動ける日で良かったです。
15日に呼び出された時も金曜の夜11時30分という遅い時間。
子供達も寝て、旦那様も家にいたので、すぐに面会に行かれ、翌日は仕事も休みの土曜日でした。

主治医のいない土日は、不安でしたが、対応はとても良かったです。

「何時に来られますか?慌てなくて大丈夫ですよ。」
と面会をさせていただいて、「明日退院ですね。」と家族の気持ちに寄り添ってくださいました。

15日の「駐車場で待ちますか?」という緊迫した雰囲気はなく安心してしまいました。

これで良かったのだと思います。

17日 15時58分 死亡確認の後は、やることがたくさんです。
少しだけ泣いている時間もくださいました。


「葬儀社は決まっていますか?」
「はい。」

病院内では、特定の葬儀社が入っていて、病棟から霊安室までの移動はするので、その時間に合わせて寝台車の手配をしなくてはなりません。

12月に熱を出した時、思い切って葬儀相談センターに相談に行っていました。
例え、何年か先でも必ずその時は来る、と、準備しました。
見積もりもいただいて決めておいたので、慌てることなく連絡できて良かったです。

病室で電話連絡しつつ、姉と娘には夫に着せるパジャマを買いに行ってもらいました。
退院時の用意はしていましたが、自宅に置いたままでした。
翌日になって「着てきたスウェットシャツとズボンがありました。すみません。」とご丁寧に電話がありました。
面会をさせていただいた感謝を伝えることができて良かったです。

菩提寺住職に電話をして、遠くまで来ていただけるか確認。
日程日時については、葬儀社さんからお寺に直接連絡していただきました。

公営の火葬場隣接の葬儀場は、混み合っていて、葬儀は9日先の26日になりました。

17時30分 病棟から夫と霊安室へ向かい、少しの間安置されました。
看護師、医師の礼拝を受け、葬儀社に引き継がれました。

霊柩車に夫と私が乗り、娘達は、駐車場まで案内されて車で帰ってきました。


夫は家に帰って来て、用意した介護ベッドに寝かされました。
顎が外れて、口が開いたままなのを娘がとても気にしていましたので、マスクをしてあげました。

穏やかな顔で夫は眠っていました。

葬儀社の方が、お布団やお参り用机セット、お花など全て用意してくださっていました。
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葬儀の相談も簡単に済ませることができました。

この日の夕食を覚えていません。
お姉さんがいろいろ持ってきてくださって、いただいたはずなのに、自分で前日煮たブリ大根しか記憶にありません。
美味しくいただいたはずなのに、ごめんなさい。

お姉さんとたくさんお話しました。
夫が生まれて命名の時の話は、印象的でした。
お寺で男性だけが車座になって、父親もその中にいて、赤ん坊を「○○だ、いい名前だ」といいながら回すのだそうです。
それを4歳上の姉は、節穴からのぞき見していたのだそうです。

他にもいろいろお話しました。
弟に先に逝かれて、どんなにか悲しいことでしょうか、計り知れません。

何時ごろ、寝たのか眠れませんでした。
夫が同じ部屋で寝ているはずなのに、人の気配が何もなく空気が軽く感じ、あまりにも静かでした。
愛犬のイビキだけが聞こえました。
「人の気配がない」と大発見のように、朝、皆に報告しました。

当たり前かもしれませんが、「もう、いない」と実感しました。
残された肉体には、何も残っていない・・・・。
静かに寝ていても生きている人は人。その気配が全然ない。
初めての経験でした。

夫は、もう、いない。

不思議な感覚でした。
肉体には、もう、夫の気配はない、というだけです。

軽くなった? まるで、夫がどこか漂うとか浮いている、とも違う・・・
言葉で表現できません。

別世界へ旅立った ・・・??


夫が逝った日

1月17日(日)
夫の姉夫婦が、18日の退院に向けて泊まりがけで来ることになっていました。
暫く家に泊まってくださると聞いて心強く思いました。

来ていただけるなら、ぜひ面会させてもらおうと作戦を考えていました。

家に来る前に病院の駐車場で待ち合わせをして、そこから強引に面会をお願いしてみようと思っていたのです。
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10時ころ、病院から電話があって、急がないが希望があれば面会できる、という伝言でした。
大喜びです。

「慌てなくて大丈夫です。」という言葉も真に受けていました。

「13時」とお願いしました。

土日なら面会できるという夫の兄にも連絡して来てもらいました。

姉夫婦、兄、娘と私で面会。
「6西」と受付に言うだけで通して貰えました。
特殊な病棟であることがわかりました。6階西病棟です。

病棟のインターフォンを鳴らしても「お待ちください」となかなか中に入れて貰えません。
何かあったのではないかと不安になっていると、娘が「感染者の方が通ると消毒に時間がかかるからじゃない?」と珍しく冷静でした。

「生きていますように!」と祈るような気持ちでした。

面会は、密にならないように、3人、2人と分かれました。
まだ面会していない兄、姉夫婦に先に行ってもらいました。
防護服等は今回は無し。(不足している?)

娘と2人で面会。
夫は目を開けていました。
耳元で「明日帰るよ。頑張って!」と話しかけました。
15日に会った時より、落ち着いているかのように見えました。

早くなった呼吸が落ち着いてゆっくりになって、やがて・・・・ということを知っていたはずなのに、この時はそう思いませんでした。
酸素濃度の値も良く「よっ!100点!スゴイ!」と褒めると頑張って数値を上げていたようです。

看護師さんも
「お家に帰りたくて頑張っているようですよ。」と仰っていました。
もう1日、と祈っていました。
どこかで、「明日までは・・・・・」というネガティブな気持ちもありましたが、まさかまさかでした。


面会が終わって、安心して自宅に戻って、兄も電車で戻っている頃でした。

お茶を入れていると、娘が
「お母さん、行くよ!」と来たので、びっくり・・・

私は、病院からの電話にも気がついていませんでした。

娘の行動の早いこと!
必死で車に乗り込み「叔母ちゃん達も~」と、バックして乗って貰いました。


病室には、テレビで見るシーンのように、一直線になってツーといって0を示している画面がありました。
さっき見たばかりの夫とは違う姿がありました。

医師が来て、死亡確認をしました。
令和3年1月17日 15時58分 死亡確認

「良く頑張ったね。お家帰ろうね。」


と、ここまで書いて、あまりにもリアルではないかと気になり始めました。

気になっても、あまり変わらないので、気にしながらも次へ続きます。

心より感謝申し上げます

心を寄せてくださった皆様、ほんとうにありがとうございます。
釈一歩.jpg

26日 無事葬儀、初七日を済ませることができました。
夫は、家に戻ってきました。
ワインを片手に笑顔の夫です。
とても静かです。

落ち着いたら、記録に残したい、皆様にお礼を申し上げたい、と思いながら遅くなってしまいました。

ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。

記録は、書き残したいと思います。

さくらさんの真似をして、おひとりおひとりにお礼の言葉を、と思いましたが、とてもとても真似できることではないとパワー不足を感じています。
momoさんの真似ができたのは、「最期の在宅」という言葉だけでした。
真似ができなくて残念でした。

ブログの先輩方々には、ほんとうに感謝しております。

そして、ブログを通じて知り合った仲間の皆様。
ほんとうに心強く思います。
ブログを読んでいただけることで、どれだけ励みになったことか・・・・。
ありがとうございます。

若年性認知症家族会彩星の会の皆様。
前頭側頭葉変性症つくしの会の皆様。

暖かいお気持ちは、届いております。
ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。

ブログは、もう少し続けます。
もう少し、お付き合いください。
どうぞよろしくお願い致します。

旅立ち

1月17日 午後3時58分 夫は、旅立ちました。

皆様の祈り、お気持ちは届いておりました。

兄、姉夫婦、娘と最後の面会をして、安心したのか、その後のことでした。

詳しくは、落ち着きましたら報告させていただきます。

ありがとうございました。
   
夫は、1日早く家に帰って来ました。

介護ベッドで眠っています。

安心したような顔で眠っています。

最期の在宅に向けて

16日㈯ 春のような暖かい日でした。

昨夜、朝まで電話がない事を信じて、眠りました。
少しでも寝ておかなければ、と横になるとぐっすり寝て朝になっていました。

娘も同じだったようです。朝早く目が覚めたそうです。

介護ベッドが搬入されました。

ソファーベッドを移動したつもりでしたが、思ったより場所を取ってしまい、業者の方が置き方を変えた方がいい、と動かしてくださいました。
重たいエレクトーンも、二人で動かし、テーブルや椅子も動かし、ほんとうに有難かったです。
私は、掃除機を持ってウロウロ邪魔にならにようにしていました。

介護ベッドは、進化しているようです。
3モーターです。
エアーマットは、体位交換をしなくても良いように、時間で向きを変えたり、褥瘡防止のためいろいろな仕組みがありました。
温めもできるようです。
夫が帰ってくるまで、私が寝てみます。

夫の状態については、特に連絡は今のところありません。

「がんばれ!がんばれ!」とずっと頑張ってもらっています。

特養に吸引機を取りに行ってきました。
持ち込んだワゴンに、口腔ケアグッズも乗って用意されていました。

ケアマネさんに経過をお話すると、「ちょっと待ってください。」と看護師さんを呼んできました。

ずっと担当だった年配の看護師さんの顔を見た途端、泣きそうになってしまいました。
看護師さんは、今までの特養での経過、「顎が外れたままというのは、良くなかった。」とか「痰のからみは、肺の下の方に溜っている感じがしていた。」など、振り返ってお話されました。
私は、完璧な医療を望んだわけではなく、特養での穏やかな看取りをずっと考えてきたこと、コロナでなかったら、等お話しました。

「奥さんも体に気を付けてね。」と仰るので「いつも、こうやって私の体まで気使ってくださるんですよ。」とケアマネさんや、新しい相談員さんに言うと看護師さんが泣き出しそうになってしまいました。

退所の手続きは、担当相談員さんのいる18日にします。

住所変更が必要です。
特養入所のまま介護保険でベッド等に使えません。

ベッドの業者さんに、「その場合は自費になります。」と説明も受けました。
1か月17000円くらい。介護保険1割で1700円の負担です。

ベッドが届いて安心しましたが、あらあら、シーツ、かけ布団、枕、パジャマ・・・必要な物を忘れていました。

訪看さんからは、「週何日くらい?」等電話でいろいろ聞かれました。
当分は、毎日来て様子を見ていただきたいとお話しました。
難しそうですが、なんとか手配してくださるそうです。
夫の状況もお話して、看取りの場合、24時間いつでも来てくださると聞いて安心しました。

民間救急車で家まで搬送していただきますが、移動中であっても病院へは戻ることはできません。

無事、家へ帰れるよう祈っています。

もう少しがんばってもらいます。

なんとか1日過ぎました。

防護服で面会

15日、退院を決意して在宅に向けて忙しく準備していました。

ソファーベッドの移動も完了して、パソコンに向かっていると電話が鳴りました。

病院からです。

病棟看護師からでしたので、すぐわかりました。

呼吸が早くなって、血圧が下がっている。希望があれば特別に面会できる。
という内容でした。
防護服着用、30分以内という条件がありました。

「何分くらいで来られますか?」
「15分くらいです。娘も一緒でいいですか?」
「はい、お二人ですね。」と聞いて、大急ぎで隣の娘に連絡をして向かいました。

通い慣れた道ですが、暗かったので一つ手前の信号で曲がってしまいました。
ちょうど、裏の救急入り口から入らせていただきました。

病院内は、6西と聞いただけでも、慣れた場所ですのですぐわかって良かったです。

インターホンで病棟に入れていただき、案内されました。
手袋、防護エプロン、フェースシールド、帽子、で病室へ。

夫は、個室に寝ていました。

娘と二人で、「会えて良かった」と話かけました。
酸素マスクをして、目を閉じていました。
自力で目は開けられませんが、そっと開けてあげると、うっすら開けているような目をしました。
手を握ったり、あちこちさすったりしながら、時々止まるような呼吸に、「ちゃんと息して」といい、「18日までがんばって」と夫の顔を見ながら言い続けました。

きっと、耳は聞こえていると思います。

看護師さんが途中で来られて、「拭いて差し上げてください」と温めたおしぼりを渡してくれました。
30分以上の時間、面会させていただきました。

「奥さんと娘さん来られて良かったですね。」と夫に話しかけてくださいました。

後で、「ご家族が来られたので、夕方より反応がいいです。」と言っていただけました。
血圧は、1時間ごとに測って、徐々に下がっているとのこと。
脈が正常に動いているが、この後の急変も有り得る。
院内に待っている場所はないが、車で待つか、家に帰るか、連絡はした方がいいか、など聞かれました。

自宅で連絡を待つことにして、帰ってきました。

入院6日目 退院を決意

退院することに決めました。

誤嚥性肺炎の治療をして回復して退院、というコースには、やっぱりなりませんでした。
予測していたことです。
12月に熱を出した頃から考えていたことでした。

1月15日㈮ 入院6日目
朝、主治医の先生から電話がありました。

昨日まで、目を開いていたが、目を開けず反応がない。
CTで右大脳に脳梗塞が見られる。
幸い、全体に脳の萎縮があるため、膨張することなく、命を落とすこともなかった。

誤嚥性肺炎の状態も良くない。
緑膿菌が見つかったので、抗生剤を変えて投与しているが、耐性菌ができて効かなくなることも今後有り得る。
胃ろうからの栄養は、体の負担になるので入れられない。

だいたい、このような病状報告でした。

お話を聞きながら、私の退院への気持ちが明らかになりました。
「家に連れて帰ることはできますか?」と聞くと
「環境が整えば可能です。」と、痰の吸引、点滴、酸素ができれば在宅も可能であることを教えていただけました。
在宅医療の経験があったので、訪問診療、訪問看護もすぐお願いできることをお話すると
「いつ、退院しますか?退院連携室に連絡します。紹介状も用意します。」
と、その方向で、とんとんと話が進み、慌てて
「私の今の気持ちですが、家族の意向も聞いて変わるかもしれません。」と戻れるようにお話しました。

いよいよ看取りの段階です。

ここまで来たら、面会もできずに見送ることはできません。
病院で、面会できないままでは、あまりにも辛いです。
いよいよの時には、防護服を着て特別に許されると聞いていますが、それがいつなのかわかりません。
今すぐにでも行きたいのに、顔を見ることも叶いません。

「最期は家で看よう」と決めました。
残された時間が少ないのもわかりました。
急がなくてはなりません。

訪問診療の先生に電話。診察中でした。
訪問看護ステーションに電話。訪問中でした。
特養に電話。

忙しくなりました。

訪問診療の先生から、18日以降なら、退院後すぐ来てくださる、と連絡をいただきました。
すぐに、病院の先生に連絡を取り、退院日は18日に決まりました。

さあ、大変。準備です。

退院連携室の相談員さんから電話をいただきました。
介護ベッド、吸引機、酸素の用意が必要。

吸引機は購入済み。
酸素はレンタルの連絡をしてもらう。

介護ベッド・・・・
ケアマネさんを決めなくてはなりません。

訪看さんに連絡をした時、聞くと、一番初めにお世話になった事業所を上げられ、すぐに決めました。
スピーディに動いていただけて有難いです。

夕方には、在宅酸素の会社の方が設置と説明に見えました。

介護ベッド、マットは16日午前中の予定。

いよいよ、お部屋が病室になります。
孫の迎え、夕食の後、早めに帰っていただいて、大掃除をしてベッドスペースを作りました。

18日が待ち遠しい!

入院5日目 前頭側頭葉変性症つくしの会定例会

1月14日㈭ 第2木曜日は、つくしの会の定例会です。
今回は、緊急事態宣言があったので、Zoomで開催しました。
Zoomに参加できない会員さんのことを思うと早くコロナが収束して、実際に会ってお話できる日が来るよう願っています。
夫の入院や病状、今後について仲間に話し、相談に乗っていただいて心強いです。

入院5日目になるのに、まだ病院から連絡がありません。

ずっと電話を待っていられません。

午後2時過ぎになって電話してみました。

説明して、聞いているのに、事務の方が「どちらに入院されているのですか?」と聞くので、また最初から「10日から肺炎で入院しています。コロナの検査は陰性でした。その後病棟が決まるのを待っていますが連絡がありません。」と声が大きくなってしまいました。
「すみません。お調べします。」と言った後、「病棟看護師に変わります」とやっと繋いでいただけました。

〇病棟西の○○さんと名乗って、答えていただけました。

まだ病棟は決まっていないそうです。
18日くらいに、病棟が決まるので、持ち物や入院手続きはその時で良いそうです。

夫の状態をお聞きしました。
熱が時々出ているので、クーリングしているそうです。
酸素マスクはなし。
痰の吸引をしている。
手の拘縮があって、動かないが吸引の時左手が動く。
「目を開けて、私達が動くのを見ています。」
には、思わず笑って
「そうなんです。綺麗な人を精一杯見ようとします!」
というと、看護師さんも笑っていました。

口腔外科の先生が口の中を見てくださって、口腔ケアもやってくださっていると聞き安心しました。
口腔外科を受診していて良かったと思いました。

入院時とあまり変わらない様子に、安心しました。
若い看護師さんの多い病院なので、夫も目をしっかり開けてウキウキしていることでしょう。
良かった、と思うことにします。

入院4日目

10日(日)に39度の高熱で入院して4日目になりました。

レントゲンで両肺の下方に影があり炎症反応も高く、誤嚥性肺炎だと判るはずなのに、コロナの検査結果まで、コロナの疑い扱いでした。

2日目には、抗生剤が効いたのか熱も36度7分に下がって、コロナの検査も陰性だったのに、同じ施設の違うフロアーの方が発熱のため、もう1度検査になりました。

3日目には、コロナのPCRランプ法という検査で陰性。
これで、隔離から解放ですが、病室の空きなく病棟が決まらないようです。

そして、今日 4日目。
まだ何も連絡がありません。

入院手続きもまだです。
病棟が決まったら看護師さんから電話があるというので、待っていました。

何もないまま1日が過ぎてしまいました。

夫の様態、悪くなっていないかもしれませんが、寝かされたままではないかと心配です。

今後のこと、
誤嚥性肺炎を繰り返し、痰の吸引が多くなった場合どうなるか、どこまで特養でできるのかも考えています。
コロナでなければ、また違うかもしれません。

どちらにしても面会できないのは、辛いです。

入院3日目 

コロナのPCR検査は、2回目も陰性でした。

午前と午後に医師から連絡が入りました。

午前は、夫の状態、熱は下がっているとのこと。
誤嚥するため、胃ろうからの栄養は中止して点滴をしている。
抗生剤投与。
今後も誤嚥を繰り返す可能性もあるので、検査をする。
菌が見つかった場合、抗生剤を変えるなど処置が変わる。

だいたい、そのようなお話でした。
他にも、いろいろお話しました。

午後は、コロナの検査結果。
ランプ法という検査で陰性でした。

入院手続きや持ち物や病棟のことなども聞きたかったのですが、お医者様はお忙しいかと、結果を聞いただけで電話を切りました。

看護師さんからの電話が来ないので、電話して聞いて見ました。

まだ、病室の空きがないらしく、病棟が決まらないようです。
決まり次第、看護師さんから電話をいただけるそうですので、それまで待ちます。

先ずは、熱も下がって、一安心。

入院2日目

1月11日 日本海側は大雪です。

東京の成人式はコロナの影響で中止になったところも多いようです。
コロナ感染者数という数字が増えています。
緊急事態宣言発令中。それでも、なんだか規制がはっきりしていないような気もします。
それでいて、特養のような高齢者施設の面会制限だけは、中途半端に厳しいです。
すぐに面会中止になってリモート面会になりました。

夫は、9日に38度の熱を出して、すぐ下がっていたのですが、
10日にケアマネさんから、リモート面会はできないと連絡がありました。
夫の体調不良が理由でした。
「わかりました」と返事をした後、リモート面会の方法について質問しました。
具体的に、どこでどういうやり方で、と聞きました。
タブレットを使ってケアマネさんが、ユニットのエレベーターホールまで本人を連れてきて送受信するそうです。
「それでしたら、ユニットの個室でスタッフにお願いして送信できませんか?」と聞いてみました。
「いえ、感染防止のためには・・・・・」というので、
「それは、看護師さんのお考えでしょうか?具合が悪いからこそ一目でも様子を見たいのです。」というと
「そうですね。聞いて見ます。お待ちください」と一度電話を切って返事をいただきました。
結果は、個室でOKになりました。
要望を言ったことで、受け入れていただけて嬉しく思いました。
喜んでお礼をいいました。

熱が下がったことも、看護師さんの伝言でその時聞きました。

喜んでいたのも、数時間でした。

夕方には、39度の熱で、慌てた看護師さんからの電話でした。

思いがけず救急搬送。
結果的に希望した病院に入院できました。

神経内科、口腔外科で通院している病院。
2回入院している病院ですので記録も残っていました。

良かったです。

ただ、コロナの時期ですので、発熱で入院の場合検査するそうです。
肺炎の治療のため抗生剤を投与しながら、結果が出るまで、コロナを疑い診るそうです。

コロナの疑いのある人が入る病棟がどんなところなのか想像できません。
必要は書類も口頭で説明を受け同意を伝えました。
看護師さんから「お部屋に入る時、防護服を付けなくてはならないので、限られてしまいます。モニターを付けることに同意していただけますか?」等、電話で説明を受け同意しました。

PCR検査の結果は、陰性 
と午後3時過ぎに当直医師から電話がありました。
ただ、施設で高熱の人がもう一人いるため、もう1度検査をするそうです。
結果は、明日になるそうです。ガッカリです。

もう1日、コロナ扱いです。
特養にも、その旨電話でお伝えしました。

病院で命を守られています。
変調にもきっと細心の注意を払って診ていただいていると信じたいです。

コロナではないと思います。

コロナでなくても、この時期、面会もできないと思うと気が重いです。




救急搬送 入院

今日、10日 夫は入院しました。

経過です。

9日、38度3分の発熱。解熱剤、抗生剤投与の連絡を受けました。

10日、ケアマネさんからリモート面会の話のついでに、36度5分まで熱は下がったと伝言をいただきました。
明日のリモート面会も決まって一安心。


と思っていたら、夕方17時、特養から電話がありました。

39度の熱。
看護師さんの慌てている様子がわかりました。
「どうしましょうか?受診ご希望なら手配しますが、ご家族で受診になります。」
私「お願いします。すぐ行きます。」

ちょうど、なぜか非常事態を察知する能力を持つ友人から「心配してる」と電話があった直後でした。

娘に報告しながら、特養へ急ぎました。

到着すると、看護師さんは、
「救急搬送の方が受け入れが良いと思いますので、手配しました。」
というので、ロビーで救急車を待っていました。

とても時間がかかったように思います。
救急車の到着後も、搬送まで時間がかかりました。

受け入れ先が近くの病院では無いようです。
発熱患者が多いとか。

私が希望する病院は、その次に問い合わせるらしく、救急車に乗せながら電話をしていました。
「もしも、受け入れられなければ、選べませんのでそのつもりで」といわれ同意しました。

運よく、か、受け入れを拒否できない病院なのか、やっぱり運良く病院へ搬送されました。
サイレンを鳴らす救急車の中で、救急隊の方に「ご家族で熱のある方は?」とかいろいろ質問を受けました。
病院到着まで15分位、あっという間でした。

夫は目を開けて、良く見ていました。
動きのある方へ目を動かしていました。

病院では「車内待機です。」と夫は救急車の中。
「ご家族は書類作成がありますので中でお待ちください。」
と、入院関係の窓口、待合室に案内されてからが長かったです。

入院になるとは思っても、説明を受けるまでは不安でした。

かなり待たされ、看護師さんと思われる方が
「入院になります。医師から説明があります。」と言われ、それからも時間がかかりました。

コロナウィルス感染症の可能性もあると考え、結果が出る明日までは、そのように対応するそうです。
必要な物j品は、後で請求される、という説明は看護師さんから受けました。

医師からの説明は、スマホで受けました。

高熱がでていること。
レントゲンで両方の肺の下の部分に影があること。
炎症反応が出ていること。
恐らく誤嚥性肺炎と思うが、新型コロナウイルス感染症の可能性もないことはない。
コロナであるという想定で、今日はコロナ病棟へ入院。
明日の結果で病棟を移る。

明日の結果まで、ご家族も濃厚接触者として行動自粛して欲しい。
施設にもそのように連絡して欲しい。

という説明を受けました。

書類を渡すこともできなかったので、飲んでいる薬、経管栄養の量など聞かれ答えました。
薬は、特養から持たされた紙を見て「フロモックス」5日分9日から、などと答えました。
下剤の種類や量など、すっかり特養にお任せしていたので、探して読み上げました。
特養の看護師さんも慌てていたのか、何枚も紙が入っていました。

経管栄養の専用のチューブも持たせていただいたのですが、それさえ渡すことができませんでした。
入院手続きもできませんでした。

すべてが終わったのは、8時45分ころでした。

駅まで娘が迎えに来てくれましたので、特養に車を取りに行くことができました。

家では、愛犬そらがご飯を食べずに待っていました。

夫は、入院しました。
まずは、一安心、ということにします。





ブログ8周年・・・発熱

1月7日がブログ開設記念日です。
2013年1月7日に、初めたブログがお蔭様で8年目になりました。
読んでいただいてありがとうございます。

もう8年です。

2012年、franzeさんのブログの影響を受け、Yさんがブログを始めたことで、私も書いてみたいと思うようになりました。
ブログを始めたのは、少し遅れて2013年になっていました。

毎日のように、「散歩」に行ってフルートを吹いていた頃のこと。
煙草を吸って、ポイ捨てに困っていたこと。

線路に下りて警察に保護。
「散歩」といって電車に乗って山歩き。
遠くまで行って捜索願。

精神病院に入院。退院。

急激な身体機能の衰え。歩行困難。嚥下困難。
胃ろう造設。車椅子。福祉車両。

特養入所。

いろいろなことがありました。
全部、このブログに記録が残されています。
振り返ることができます。


記録は、まだ進行形です。

病状の変化や制度のことなど、いずれ、もう少しわかりやすくまとめてみたい、と思っています。



今の夫の状態
あまり良い状態ではありません。
たぶん、誤嚥性の肺炎を起こしているのではないかと思います。
特養は、この緊急事態宣言で、面会禁止になりました。

38度3分の熱が出ている と今日の夕方連絡を受けました。
微熱は、年末から度々あったようです。
頻脈、無呼吸があります。痰も多くなっています。

予定していた12日の口腔外科受診は、口腔ケアだけならお休みした方が良い、と看護師さんにいわれ、キャンセルすることにしました。
20日は胃ろう交換。21日は神経内科受診があります。
そのころには、熱も下がっているでしょうか。

11日は、リモート面会です。

今年初の口腔外科受診

5日 10時30分の口腔外科受診予約でした。

夫の用意や、福祉車両の操作、道路状況等考慮して、早めに家を出発しました。

思ったよりも、早く進み、30分以上前に待合室に到着できました。

まだまだ時間がかかると思って、ゆっくりと夫の手をマッサージしていました。
右手を握ったままなので、開くと皮膚がボロボロと出てきました。
そっと、綺麗に拭いてからハンドクリームを塗ってマッサージしました。
爪も伸びていました。
左手の爪は切られていましたので、時間切れ?だったのか?

耳の周りも片方だけ、コビコビの皮膚で擦るとガサガサと取れました。
久しぶりに側で見ると、気になってしまいます。

予約時間前に、番号表示がされて慌てて診察室に入りました。

「どうですか?」と聞かれ
「23日に熱が出て、下がりましたが良い状態ではないです。」と答えました。
「レントゲンは?肺炎でしょうね。」

施設なので、医師の指示で抗生剤投与だけだったことを伝えると黙って頷いていました。

唇が渇いていたので、「もっとたっぷり塗っていいですよ」といわれ、
口の中は、「残らないように拭き取って」といわれました。

先生に電話が入ったため、吸引、口腔ケアは、ほとんど看護師さん2人でやっていただきました。
ベテランの方だったらしく、先生も任せているようです。
「次は歯ブラシを持ってきてください。」といわれました。
舌も綺麗にしていただきました。

夫は看護師さんをじっと見ているので
「私を恨まないでね。」といわれてしまいました。
綺麗な女性をじっと見る癖は、まだ健在です。

「面会できないので、私は手が出せなくて・・こうして通院の時だけなんです。」
と先生にお話すると
「じゃ、通院を多くすれば、いいのかな。」というので
「はい!」と大きく答えてしまいました。

毎週、火曜の10時30分 定期的に受診が決まりました。
神経内科の予約が一緒に打ち出されるのを見て、
「こういう日は、一緒でいいよ」と言っていただけました。

明るい気持ちで、診察室を出ることができました。
夫は疲れたのか、寝てしまいました。

お天気も良かったのですが、公園に寄るとか、どこかでゆっくり、というよりも夫は早くベッドで寝たいだろうな、と思って帰ることにしました。
ほんとうは、もう少しマッサージをしたり、あちこち綺麗にしてあげたかったのですが、寝てばかりの夫でした。
車の中では、車椅子の首を支える部分を外しているので、首が不安定でしたが寝ていました。

ちょっとだけ、コンビニに寄り道をして、特養に戻りました。

特養の看護師さんに報告。

今後、看取りの確認の話合いをする予定があることを聞きました。
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謹賀新年 2021年

明けましておめでとうございます。
無事、新年を迎えることができました。
年末、慌ててお掃除とお節料理作りをしました。

31日大晦日は、新潟の風習で「年取りの晩」ご馳走を食べます。
娘一家が来て賑やかでした。
年越しそばまで、しっかり食べて帰りました。

1月1日は、関東風?お雑煮。
娘が鶏ガラで作ったスープは、夫の家の伝統の味。
今年はちょっとラーメンスープみたいでしたが、美味しかったです。
伊達巻も、今年は甘さ控えめでした。
新潟の郷土料理「のっぺ」は私が作りました。
黒豆、きんとん、煮物等も作ったのですが、娘の作ったお節料理の方が大人気で、残ってしまいました。

2日、特養の面会に行ってきました。
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「つどいの間」に神社ができていました。
入り口には、赤い鳥居もできていました。
お参りさせていただきました。

夫の様子は、毎日のように特養に電話をして聞いていました。
遠慮して電話しない日には、偶然「少し熱があります」と報告していただき有難かったです。

決して良い状態ではありませんが、まあまあの夫に会うことができました。
珍しく「あーあー」というような声を出しているようでした。
声というより、呼吸が声帯を震わせて音を出している、という感じ。
気のせいか、何か訴えているようにも思いました。

こっそり、喉を触ったり、肩、首をマッサージして声をかけました。
目で私の動きを追っていました。
少し落ち着いて声も出さなくなりました。

お正月で、面会も多いのか、次に待っている人が見えて、いつもより短時間で終わりになりました。

熱は、下がっていると聞きましたが、少し熱っぽい感じでした。

5日の口腔外科受診は、熱がなければ行かれると思います。

一安心の2021年スタートです。

良い年になりますように!

年末・・・

クリスマスも終わって、もう年末。

大掃除も小掃除?も、なかなかする気になれません。
年賀状も書く気になれません。

夫の発熱ばかりが理由ではなく、私がもともと怠け者だからなのかもしれません。


夫の状態
23日に、夫の発熱の連絡が特養からありました。
解熱剤で1時間後には熱は下がったようです。

面会ができないので、実際の夫の様子がわかりません。

発熱や状態が悪い時は連絡がありますが、「良くなりました」という連絡はないのが普通です。

24日は、電話で看護師さんとお話ができて安心しました。

25日は、ティッシュペーパーの補充を持って特養に行った時、事務室で様子を聞きました。
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ちょうど、ミーティング中でしたので、看護師さんではなく、介護スタッフからの伝言で事務員さんから伺いました。
熱もないようです。
車椅子に乗ることはせず、ベッドで寝ていると聞きました。

口腔外科の受診はキャンセルしました。

25日、それでもクリスマス!
思いがけず、孫達と小さなパーティーになりました。
「お皿の盛り付けを手伝って」といったことから、上3人が大喜びで参加してくれました。
ウインナーを焼いて。ゆで卵作って。というと中学生の孫がテキパキとやってくれました。
お風呂掃除や犬の世話も子供達がやっていて、夕食中のその話題にも、それぞれの成長が感じられました。
遅番の娘が帰宅する頃には、4番孫ちゃんだけが残っていました。
家が隣というのは便利です。

クリスマスが終わると、年末大掃除・・・・
クリスマスツリーやクリスマスの飾りをすぐ片付けなくてはなりません。
行事や習慣は、怠け者の私を動かしてくれる・・・・

23日の夫が熱を出してから、まだ数日。
23、24、25日の3日間は、飲酒を控えました。
面会に行かれないので、状態を聞くだけで、今後のこともいろいろ考えていました。

26日は、特養へ電話も迷って、しませんでした。
娘宅に招かれて夕食。
スペインのワインを飲みました。

時の流れは平等です。
新年がやってきます。
ザワザワと落ち着きませんが、頑張ってお掃除をしようと思います。

熱 下がりました

12月24日 クリスマスイブ

今年は、クリスマスムードではないけれど、毎年同じように、出窓に小さなクリスマスツリーを飾って、ライトを点滅させています。

玄関には、リースを飾って、
下駄箱の上は、シクラメンとクリスマスの小さな飾り。
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昨日の特養からの電話では、38度3分の熱。
夜中に呼び出しがないとも限らない、と禁酒。

朝になっても、10時過ぎても連絡もないため、特養に電話して聞いてみました。
医務室に繋がれ、担当看護師とお話できました。

熱は、カロナール(解熱剤)で、1時間後には下がっている。
その後も発熱はない。
医師の指示で、抗生剤を数日投与して様子を見る。
経管栄養、水分量は変わりなく摂取。
という報告でした。

「安心しました。いよいよ看取りの時期かと思って面会をお願いしようと思っていました。」
と私が言うと、否定せず、
「少し様子を見ましょう。」
と言われました。

明日25日の口腔外科は、キャンセルすることにしました。


夕方、特養から電話。

また熱かと思ったら、ケアマネから
「ティッシュペーパーがなくなりそうなので、持ってきてください。」でした。
ついでに、様子を聞くと、記録を調べてくださって、
16時に36度、と教えていただきました。

明日、ティッシュペーパーの補充を持って、行ってみようと思います。


少し、少しですが、「看取り」についても考えました。
なかなかできなかった準備も少しずつしたいと思います。

発熱・・・・

今年は、コロナ騒ぎで1年があっという間。
クリスマスの気分にならないな~と何となく憂鬱。

あれやこれやと夫の事を振り返っても、マイナス気分。

「1年後は????」
「今年の冬を越せるかしら?」とか
「せめて、春・・・春になったら・・・」
「平穏死」なんて考えていると

夕方、17時30分頃、特養から電話。
看護師さんからでした。

「熱感があったので、検温すると38.3度でした。酸素濃度は80でしたが、今は97です。血圧は・・・脈は頻脈で・・・」
と早口で報告を受けました。
・カロナール(解熱剤)を使う
・経管栄養は入れず、水分のみ。

そして、
「看取りの確認ですが・・・」
とまた早口です。
「夜間に状況が急変した場合、救急車を呼ぶこともできますがとうしますか?」
という質問には、
「救急車は、呼ばないでください。私に電話をください。」
とお願いしました。

看護師さんは、小声で復唱してメモを取っていたようです。

コロナで面会制限がなければ、すぐにでも駆けつけるところです。
今は、それができません。

明日の予定を全てキャンセルして、待機する旨伝えました。

昨日の面会で、喉の奥が白く見えていました。
ずっと、ゼコゼコが気になっていましたので、誤嚥性肺炎かもしれません。

明日の様子で、抗生剤の投与等もお願いしたいと思います。

何事もありませんように・・・・!

もう少し頑張って!!
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今年最後の面会

12月22日(火)
火曜日に面会をして、終わってから翌週の面会予約をすると、だいたい翌週の火曜日には予約できました。
ところが、今回は、
「あら、今年はいっぱいです。次はお正月ですね。」
ということになりました。

思いがけず、今年最後の面会になりました。

25日、口腔外科の通院がありますので、大丈夫です。

毎週1回の面会と通院で、週2回会えると少し安心できます。

面会の前に、相談員さんが来て「胃ろう交換の日」を決めました。
来年1月20日㈬です。
半年に1度の胃ろう交換ですので、ほんとうは12月でした。
特に差し支えないようです。

面会は、相変わらず、アクリルボード越しです。
それ程厳しくもなく、側に行って耳元でスマホから音楽を聴かせたり、手を触ったり、口の中を見たりもできます。

隣りでは、会議中で声が聞こえました。

玄関ホールでは、なぜか予防接種???みたいでした。
それも、特養の利用者ではなく、子供何人か??
インフルエンザの予防接種は、ワクチンが足りないと聞いています。
孫達も、いつもの小児科ではなく他を探して打ったようです。
きっと、何か事情があるのでしょう。

とにかく、人が数人いて、面会中も賑やかでした。

夫は3階のユニットにいます。
1階の面会場所は、ドアもなく開放された空間です。

この程度の感染予防なら、もう少し、面会制限も緩和しても良いのではないか、
訪問マッサージまで断る程のこともないのではないか、
とも思います。

思い出したら、なんだか疑問に思えてきました。

金曜日に通院があります。
喉に痰が溜まって白く見えたのが気になります。
夫も何か言いたそうな顔でした。
金曜日には、少しゆっくり夫の話を聞いて見たいと思います。
夫は、目で話をするので、私の気持ちが集中しないと聞くことができません。
賑やかな空間と限られた時間では難しいです。

面会の後、富士山を眺めてから、孫を保育園に迎えに行きました。
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特養の面会へ

週1回 15分の面会ができます。

1日4組。
15時、15時30分、16時、16時30分。

今週は、15日火曜日16時30分からでした。

終わってすぐ窓口で、次の予約をしますが、早くても同じ曜日になるようです。
以前は、空いていなくて10日後くらいになることもありましたが、今は週1回面会できています。

毎週金曜日には、歯科通院がありますので、週2回会うことができて、少し安心です。

今回は、歯科医の先生から口腔内の保湿や、汚れを取りやすくするためのマウスリンスを勧められて、使っていただくようにお願いしていたので、看護師さんに、経過を聞いて見ました。

「オーラルピース」を使っているので、それで良かったのではないか、面倒なことをお願いしてしまったのではないかと気になっていました。

担当看護師さんが見えて、
「大丈夫ですよ。介護の方でやって、特に吸引しなくても、スポンジブラシで吸い取っていますよ。」
と聞いて安心しました。
痰の吸引も、1日1回くらいになっているようです。
先週より、ゼコゼコしていないようです。
肌もつやつや。皮膚の状態も良さそうです。

週2回会っているからか、夫も落ち着いているように見えました。
もう、何も、声も出しませんが、何か訴えるような目をする時もあります。

一方的に話しかけて、写真を撮って、スマホから音楽を聴かせました。
耳元で聴かせると、泣きそうな顔で感動?反応しました。
今回は、選んだ曲どれでも同じような反応でした。
これでヨシ!!

面会が終わって外に出ると夕焼けの山、富士山が綺麗に見えました。
少し遠回りして、写真を撮りました。
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有料道路障害者割引ETC利用登録更新

夫は、精神障害手帳1級と身体障害者手帳2級を持っています。

身体障害手帳取得によって、有料道路の割引が受けられます。
高速道路の料金が半額になります。

この割引は、精神障害では受けられないのが不満です。

夫と高速道路を使って出かけていた頃は、割引はありませんでした。
ガソリン代補助も、自治体によって違いはありますが、精神障害では受けられませんでした。
あの頃、この割引が受けられたら、僅かでも「割引」とか「補助」とかあったら、それだけでも有難い気持ちになれたかもしれません。


「高速道路の障害者割引」を受けられるようになって、2年になり「ETC登録の更新」の時期になりました。

有効期限は2年毎の誕生日です。

2カ月前から手続き可能でしたが、ちょうどカードの更新、車検があったため、新しい方が良いのかと勘違いをして遅くなってしまいました。

夫の誕生日の3日前、ぎりぎりに障害福祉課で手続きをしました。
ほとんど使うこともないのですが、使うかもしれないので手続きはしました。

申請書に記入し郵送するよう、封書を渡され、切手を貼って投函。

すぐに、「ETC利用登録 継続」の書類が届きました。
早いです。

有効期限は、2年後、2022年12月4日・・・・・

2年後・・・・・

精神障害手帳の更新も2年後・・・・

2年後か・・・・・

どうなっているでしょうか?

この頃、急に衰えたように見える夫の2年先は、わかりません。
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口腔外科通院3日目

12月11日(金)
口腔外科通院日でした。
1週間が早いような、長いような・・・・。
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前日は、つくしの会の役員会。
たっぷり、つくしの会の事ばかり考える日々でした。

少し飲み過ぎて、午前中はぼんやりしていましたが、午後は通院。
2時30分の診察時間に合わせて、1時には自宅を出発。
1時30分には特養出発。

福祉車両が大活躍です。

通院も慣れてきました。

駐車料金も手帳で無料。
医療費もマル障で無料が嬉しいです。

夫は先週から、痰がからんでゲホゲホしています。
「吸引しています」と言われたのですが、車に乗ったとたんにゲホゲホと痰のからまった咳をしていました。
口腔外科では、すぐ吸引されました。

口の中は、先週より綺麗。
顎も動いているようです。
いろいろ言われても、私も1週間ぶりに見るので、返事に困りました。
上のぐらぐらしている歯は、様子を見て抜こうか?と仰られていました。

「保湿はどうしていますか?保湿が大切です。保湿剤をこうして・・・」
と紙コップでぐるぐるかき混ぜて、口の中を湿らせて舌の汚れも取って、吸引する方法を教えていただきました。
「オーラルピースを使っています」は通じなかったようです。

CōǹCōōLのマウスリンスという液体とマウスジェルの試供品、スポンジブラシもいただきました。

売店で売っているというので、迷ったのですが液体を1本買ってみました。
ジェルはオーラルピースがあります。

コロナで面会制限があって、私が口腔ケアをできません。
介護士さんが、できるかどうか・・・・。
ほんとうは、吸引が必要なので、看護師さんにやっていただきたい・・・。

特養に戻って、看護師さんに話ましたが、「介護と相談してみます。」というお返事でした。

大丈夫かな?と思ってしまいました。

介護スタッフさんの負担になるのではないか。
やり方によって、誤嚥の可能性もあるのではないか。と・・・・

普通なら、吐き出せばいいのですが、夫は吐き出すことができません。
汚れを浮き上がらせても、それを誤嚥しては、逆効果です。

ゼコゼコ、ゲホゲホが多くなっているのも気になります。
吸引が必要です。

面会を早く緩和させて欲しいです。

でも、週1回の口腔外科通院で会えるので、良しとします。
面会は、15日火曜日、通院は18日金曜日です。



誕生日&口腔外科通院2日目

12月4日(金)
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夫の73歳の誕生日でした。
午前中に髪をカットしてもらい、スッキリ短くなっていました。
どこのお爺さんかと一瞬わからないくらい変わっていました。
面会制限中に頻繁に外部の理美容の方と接しない方が良いかと、かなり伸びてからのカットでした。

受診のため、思いがけず「お誕生日おめでとう」が直接言えて良かったです。

歯科医の先生に「4日説明をしますので来れますか?」と聞かれ即答しました。
「説明だけなら、連れて来なくてもいいですか?」などと聞きませんでした。

結果として、連れて行って良かったです。
聞いても「連れてきて、診せてください。」と仰ったのだと思います。

顎の手術の事で、まだ言われていないのに、頭を悩ませていました。
特養で顎が外れたまま、と聞いてもその様子がわからなかったので、「痛みがないならそのままで」と思っていました。
でも、やっぱり、外れたままでは嫌なのだと側にいるとわかりました。

コロナで面会制限中だったことが、大きく影響しています。
アクリル板越しでマスクをしたままでは、口の中も表情もわかりませんでした。

少し側にいて過ごすと目で話ができます。
顎が外れて、口が開いたままでは嫌だと訴えているのがわかりました。

それなら、できる限りの医療は受けさせたい、と手術例の文献をネット検索しました。

「もっと早く診せていたら」という話を、つくしの会会長のえいさんにすると
「自分を責めてはいけない。最善の事を今までしてきたのだから。」と励まされ、「命にかかわるような手術でないなら受けた方がいいのでは?」と後押ししていただきました。

もし、手術を勧められたら、お願いしたいと心に決めての受診でした。


午後の診察時間は、予約の時間通りでした。
ギリギリの時間に到着して、車椅子を移動させていると診察室の先生と目が合い、
「どうぞ」と直接手招きされました。

「すみません。今日はゼコゼコが酷くて」というと
すぐに吸引できるようにしてくださいました。
特養出発時から、咳き込み、病院内でもゲホゲホしていました。

「エンドレスに出ますね。」と看護師さんに多量の痰を吸引していただきました。
その後は、先生と二人で口の中、舌の汚れも丁寧に丁寧に綺麗にしていただきました。
そうこうすると、夫は口をもぐもぐと動かしたので、
「あ、顎動きますね。」と私は喜んでしまいました。

外れている状態は、変わりなく、3Dの映像を見ながら説明を受けました。
顎の関節の状態がよくわかりました。
手術となると、骨を削るのだそうですが、口の中を綺麗にしながら、歯も顎も様子を見てくださるそうです。
「手術にはリスクもありますから」というお話でした。
「週1回通院できますか?」と聞かれ喜んでしまいました。

「施設で口腔ケアが難しいようですので、こちらでやりましょう。大変だと思いますが、連れてきてください。」
と、ほんとうに有難いです!
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
と頭を下げました。

週1回、夫に会える!
お誕生日プレゼント
夫は、若い看護師さんの動きをちゃんと目で追っていました。
動かない首も動くようです。

夫は73歳になりました。

前頭側頭葉変性症つくしの会12月Web定例会

12月3日(木)10時から
FTLDつくしの会のWeb定例会でした。

ブログにコメントをくださった「さおりん」さんとお会いすることができました。
笑顔を見せていただき、嬉しかったです。
もうお1人、新しい方も見えて、嬉しく思いました。

サザンカさん、よっちゃん、リバーさんも参加され、お会いできてホッとしました。
内緒の参加でしたら、お許しください。嬉しくて・・・・

全国から8人、仲間が画面に集まって話ができました。
それぞれの自己紹介と近況報告。
私も、面会制限や歯科受診の話を聞いていただきました。

1時間30分の予定時間がとても短く感じられる程、話が弾みました。

前頭側頭葉変性症つくしの会
http://yamatosakura2016.blog.fc2.com/

会の事で悩みを抱えていましたが、気持ちが楽になりました。

歯科受診の事の方が切羽詰まった悩みになって、私の頭を占領しようとしたこともありますが、
仲間の存在は大きいです。

仲間と会って話がしたい、という気持ちから自然にできた会です。
初心に戻って、楽しい会にしたいと思います。

小さな悩みは、解決できそうです。

仲間の笑顔に出会い、元気が出ました。
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口腔外科受診1日目

12月になってしまいました。
早いです。

12月2日㈬
口腔外科の外来予約は9時30分からでした。
紹介状を持って受付をするため30分以上早めに行ったのですが、時間がかかりました。

さらに、初診になるため、診察までかなり待ちました。

今回の口腔外科受診は、特養の歯科医からの紹介です。
右上の歯がぐらぐらしているので抜歯した方がいいけれど、前回抜歯後大出血して入院となったので、今回も病院で抜歯することになっています。

待っている間に検温すると、最初は37.5度ありました。
少し時間を置いて測ると37.1度でした。

問診票を記入。
抜歯についての長い説明文2枚を読みました。
さすが、大病院です。
抜歯の注意や抜歯にかかる時間やリスク、同意やその変更など詳しく書かれていました。

診察を受けると、先ず口の中の汚れを指摘されました。
私も痰の白い汚れが付着しているのが気になっていましたが、何しろコロナでマスクですので、受診の日しか口の中を見ることができず、面会時に密かに見たとしてもどうすることもできずにいました。
「スポンジのブラシで取れますよ。」といわれても
「特養にお願いしてあるのですが・・・」と愚痴になってしまいました。
歯の状態を見て、「レントゲンを撮ってきてください」といわれました。

夫が少しゼコゼコしていると、「取ってあげて」と看護師さんに言って、看護師さんも慣れた要領ですぐに痰の吸引をしてくれました。
車の中から気になっていたので、すっきりして良かったです。

レントゲン室まで移動。
大きな病院は、レントゲンも順番待ち。

リクライニングの車椅子の背もたれ部分を倒して、レントゲン撮影完了。

また診察へ。
また順番待ち。

診察にになって、診ていただいて、
「う~~ん、この歯ね・・・」と口の中を見ている時
「顎が外れているのですが・・・」と私が言うと
「ん?顎?どれどれ」とすぐに修復に立ち上がりました。
その動作から、顎の修復手技には自信がある様子でしたが、固くなっていて無理だったようです。
「CTを撮って来て」とすぐにCTのオーダーです。

CTは、予約が必要で、その予約の合間に入れてくださるそうです。
ただし、時間がどれくらい待つかわからないので「今日は時間大丈夫ですか?」と聞かれました。
特に予定もなく、覚悟しての受診でしたので待つことにしました。
長ければ3時間と言われていましたが、30分程でした。

CTは、「全介助ですね。」といわれただけで、お任せでした。

CTの画像情報が先生の所へ行くのは、また時間がかかって、さらに1時間と聞いていました。

夫のリクライニングを倒して、少しお昼寝してもらいました。
疲れたらしく眠っていました。

口腔外科の診察室は、午後になると誰もいなくなっていました。
先生がお昼の休憩から戻るとすぐに呼ばれました。

「去年の5月は外れていませんでしたよね。」と昨年入院した時の3D画像を見ていました。
今年の7月に外れていることがわかって、何回か修復して繰り返したこと、その後外れたままになっていたことを話しました。
「すぐならば・・・」と先生は呟いていました。
「全身麻酔か・・・」とも・・・・

詳しくは、3D画像ができあがる4日に説明を受けることになりました。
抜歯だけなら入院の必要もなさそうな話でしたが、顎は手術か・・・全身麻酔のリスクは大きいはず・・・
4日まで少し時間があるので、考えることにしました。

「もっと早く、顎が外れて入れられないと聞いた時受診すべきだったのかもしれない」とすこ~し後悔もし始めていました。
コロナで面会ができなくて、夫の状態を聞くことしかできなかったのです。
特養で診ていただいている歯科医の先生への遠慮もありました。
それでも「受診した方がいいかな?」と考えていたのです。
考えていて、今になってしまったのは、やっぱり仕方がないことです。

通院日 公園へ

11月26日(木)
暖かな一日にでした。
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夫の神経内科の通院日。
特に治療はありません。
難病指定等の書類を書いていただいているので、近況報告だけです。
「この病気の事は、ご家族の方がご存じですね。私は書類を書くだけしかできません。」
と謙虚ですが、話をいつも良く聞いてくださる良い先生です。
コロナで面会制限があるのですが、通院の日だけは夫に触れることができます。
数カ月に1度だった通院も、2カ月に1度に快く増やしていただきました。

先生が夫に話しかけると、眠そうにしていたのに、目を開けてちゃんと見ていました。
先生と私の話を気持ちよく聞いていたようです。

私が話す声を夫は良く聞いています。
私一人の時の夫に話しかける声より、誰かと話す声が心地よいようです。
赤ちゃんと同じみたいです。

特養の看護師さんから、
「最近、頻脈になる。顎が外れているストレスが原因か?」
との質問を伝えると、
「そうではないでしょう。」と笑って答えれられました。

口腔外科に、12月2日に予約が入っている情報も確認していました。
「もうすぐお誕生日ですね。」
「ええ、お蔭様でお誕生日が迎えられます。」
と笑顔でお話できました。

面会制限のいろいろな愚痴も早口で話し、次回は2か月後来年1月に予約しました。


車椅子の夫を福祉車両に乗せてのお出かけも、久しぶりです。
リクライニングの車椅子は、背もたれ部分を折り曲げるとギリギリ乗せられます。
滅多にやらないので、強引だったのか、プラスチックの持ち手が折れてしまいました。
作動に問題ないのですが、乱暴な扱いで損傷させた事を、特養に戻った時謝りました。

昭和記念公園に向かいました。
砂川口に向かって走り出しましたが、イチョウ並木が見たくなってUターンしました。
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噴水までのイチョウ並木は、もう殆ど散っていました。
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噴水まで散歩して、記念写真を撮って戻ってきました。
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11月前頭側頭葉変性症つくしの会&若年性認知症家族会彩星の会

11月19日(木)
前頭側頭葉変性症つくしの会の定例会に参加しました。

コロナウィルスの感染者数という数字が増える中、感染には注意が必要です。
全員マスク着用。
ソーシャルディスタンスを保ち間隔を空けて座る。
換気をする。等、注意しながらの開催です。
人数は9人。少ない人数でしたが、ゆっくり話ができました。
初めて定例会に参加され、入会された方は、つくしの会の設立前からの介護仲間です。
お仕事をなさっている関係もあって、なかなかお会いできないままでしたが、経験豊富ですぐに話が弾みました。

前頭側頭葉変性症つくしの会のホームページです。
http://yamatosakura2016.blog.fc2.com/

11月22日 (いい夫婦の日)
若年性認知症家族会彩星の会の定例会は、新宿の会場とZoomの同時開催でした。
会場は、人数制限もありました。
久しぶりの会場開催、と初めてのZoom同時開催で世話人さんは通信機器の準備や調整にご苦労されたようです。

会場に初めての参加の方もいて「アルツハイマー型認知症」(AD)から「前頭側頭葉変性症」(FTLD)と診断され、思いがけず入院となって不安を訴えられていました。

前頭側頭葉変性症は、難病指定を受け、稀少疾患とされていますが、若年性認知症の中では数が多くなっています。
診断される方も増えているようです。

介護の悩みも多いためか、彩星の会の参加者の中でFTLDは圧倒的に多かったです。
私もそのひとりで、遠くからつくしの会の仲間の参加もあって、顔を見るとほっとします。

「初参加の方に対して、アドバイスを」と司会者のスリブリさんに求められ、私は「仲間がいますよ。」とお伝えし、えいさんも「大丈夫ですよ。」と優しい言葉をかけられていました。

若年性認知症家族の会彩星の会(ほしのかい)のホームページです。
https://hoshinokai.org/

今回の定例会で、少しだけ紹介された動画です。
全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会 彩星の会動画メッセージ
https://www.youtube.com/watch?v=L001UTC5BOM&feature=youtu.be

そのBGMが素敵です。
彩星の会の会員で、若年性認知症のお母様を見送られた方の歌。
お母様のシャンソンレッスンに同伴されご自身もレッスンを受け、才能を磨かれたようです。
いのちの歌 Inochi no Uta 竹内まりや(cover 金子史央 / 三つの音の雫)
https://www.youtube.com/watch?v=XY89gds61C0&list=RDXY89gds61C0&start_radio=1

他にもyoutubeで素敵な歌声が聴かれます。
「ふるさとの山」
https://www.youtube.com/watch?v=N9jrnPrc4Gg

11月23日は、孫の誕生日です。
初めて彩星の会の定例会に出席した記念日です。
あの日、生まれた3番孫は、6歳になりました。
ブログ仲間のYさんにお誘いいただいて、定例会に出席して6年になりました。
彩星の会の2次会の楽しさを知りました。
彩星の会との出会いがなかったら、つくしの会も存在しなかったかもしれません。
彩星の会のような、若年性認知症の会が私の地域の近くにないかと探すようになりました。
彩星の会の会報の会員投稿欄「人今人」に夫の事を綴ったことがご縁で、ももさんと会い、隣りの自治体の認知症の会のドアを叩いたことから、えいさんと会い、3人で会ったことから、つくしの会が誕生しました。
夫が若年性認知症になったお陰で、仲間と出会うことができました。
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