589.スイスと夫

夫とスイスへ初めて行ったのはいつだったのか?

格安のドイツ、スイスの団体ツアーでした。
ツアーを抜けて、娘と夫と当時スイスに滞在していた両親とハイキング、夕食を共にしました。

その後は家族で短い海外旅行をすることはあっても、スイスへ毎年行くようになるとは思ってもいませんでした。

両親、頼りにしていた父が、85歳を越えた頃
「もう自信がない」というので私が両親のスイス行きを手伝うようになりました。

夫と一緒に、スイスへ両親を迎えに行ったのは、診断より少し前でした。

2009年 
夫と二人でスイスの「クール」という古い街に1泊して、氷河の街サースフェーへ楽しみながら行ったのを覚えています。
夫は、私の両親との会話が少し変な所や、話し方で気になる所がありました。
宗教の関係で黒い服を着ている人を指差しするなど、悪びれず、行動も一緒にいると気になりました。
夫も自分の違和感をずっと感じていたらしく、「帰ったら病院へ行く」と言っていました。
すでに発症していました。
急な変化もなく、私も病気の深刻さがわかっていませんでした。

その後、2012年まで毎年、夫もスイスへ行きました。

2010年 
ポントレジーナからアンデルマット、そしてグリンデルワルトへ。
すでに診断を受けていましたが、「少し変な人」という程度でレストランで食事もできていました。
日本語観光案内所の所長さんの家に招待されると「世界で一番美しい景色」とバルコニーからの景色に感動していました。
そして「奥さんは美しい」と言うので、奥様は大喜びでした。
思った事をそのまま口にするようになっていましたので、この事は今でも話題になっています。
両親が自分たちの故郷にように愛したグリンデルワルトを夫もとても気に入って、私も嬉しく思いました。
所長婦人は、綺麗な方ですが「美しいです」と正面から言われた事を素直に喜んで、嬉しそうでした。

まだタバコも吸っていましたが、ルールは守っていました。
帰りの飛行機の狭い通路で、大きな男性客室乗務員さんとすれ違う時、体に触れられると大きな声で拒絶してびっくりしました。
感覚が敏感になっていました。

2011年 
グリンデルワルトの貸別荘へ。
両親は、1階、大家さんが2階、私達は3階。
シャレーという三角屋根の貸別荘ですから、3階は狭くなっています。
線路沿いにあって、ユングフラウ方面へ向かう電車を眺めていました。
電車に乗ると「我が家」が見えて嬉しくて写真を撮りました。

夫の希望で、「ダボス」へ行って、そこから夫と二人で帰りました。
夫は、自分のトランクを飛行機に乗る時以外預けようとしませんでした。
私は、トランクが「重すぎ」と駅のチェックイン手続きで言われ、夫の荷物と合計できるのに~と、渋々手荷物に分けました。
夫は「自分の事しか考えられない人」になっていました。

ハイキングで父に山の名前を聞いて、父が詳しく説明すると夫は聞いていない。
「なんだ!」と言う父に夫の病気を説明すると、その時は「それならわかった」といい、
短期記憶が難しくなった父には、何度か話しました。
父とのスイス旅行は、この年が最後でした。

2012年 前年同様グリンデルワルトの貸別荘。
両親も一緒の予定でしたが、前年秋から冬に父の体調が急降下しました。
車椅子の手配やエスカレーターの位置等事前調査をして、何とか連れていく予定でしたが、体調は思わしくなく、両親は直前にキャンセルになりました。
夫と二人のスイス旅行になりました。
夫の最後の海外旅行になりました。
父は旅行中に入院の連絡が入りました。

夫と過ごしたグリンデルワルトの1週間。
毎日、たっぷり歩きました。
「意味性認知症」の診断を受けても、特にフォローもなく、介護保険も手帳も自立支援の事さえまだ何も知らず、言葉の理解ができないことと自分勝手な行動も、まだ許容範囲内の頃でしたので、家でもスイスでも同じように、ひとりで「散歩」をしていました。
毎朝6時前からの「散歩」には付き合えませんでした。
家と同じように、ひとりで1時間程散歩すると確実に戻ってきました。
午前、午後の2コースのハイキングは一緒に楽しみました。
岩の上や残雪、ぬかるみ等は、とても歩きにくそうでした。
見かねて手を差し伸べてくださる方もいましたが、夫は表情を固くして拒絶していましたので時間をかけても自力で頑張ってもらいました。

写真は、今年6月のスイス
クロッカスの花がたくさん見られました。
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グローセシャイディック
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今年の夏は、母と2回行きました。
クロッカスの花を見ながらハイキングです。
山の上にはレストランがあって景色を見ながらビールを美味しく飲めます。
場所によっては、ジュースやお水より安く飲めるのも嬉しいです。

2012年の夏のスイスが、夫と行った最後のスイスでした。
今振り返って、よく無事に行けたと思います。
とっくに、普通ではなく、思っている以上に重症だったと思います。
食事は、すべて自炊しました。
レストランでも、持参のパンを食べようと、いや食べました。
コースは、私有地もショートカットで歩いたようです。
コース変更ができず、ケンカもしました。
いえ、ケンカになりません。
私ひとり腹を立てて別行動で家に帰った事がありました。
近くのグルントという駅で気晴らしに買い物をして先に帰ると、後から平気な顔で夫も帰ってきました。

診断から3年、まだまだ大丈夫かと夫の行動を容認していました。
深く考えもせずスイスへ行かれた事は、夫のとっても私にとっても良かったと思います。

この記事へのコメント

Y
2019年08月16日 21:19
同じ土地へ何度も行くという経験は振り返ると一里塚のように思えます。

診断から3年というのは、私も「まだ大丈夫かと夫の行動を容認」していた時期でした。

「私ひとり腹を立てて別行動で家に帰った事がありました。」ああ、私も主人とのドライブの帰り道、腹をたてて途中で降りて帰ったことがありました。
それでもけろっとしていた主人はやはり病気だったのですね。

初期のころ、ある意味で家族は『独り相撲』の時間を過ごすのだと思います。
らら
2019年08月18日 09:18
Yさん

お返事遅くなってすみません。
ある意味「ひとり相撲」の時期でしたね。
ケンカしたくても、言葉の理解ができないし、都合のいいように解釈されて、本人は「あっけらかん」としているので、ひとりで怒って、ひとりで笑っていました。

夫が好きだった海外旅行に行かれなくなる日が、思ったより早く来てしまいました。
記録に残して置きたいと思いました。
Y
2019年08月18日 11:52
ららさんはご主人と何度も海外旅行へ行かれたのですね。
私も子供達も主人の旅行好きに引っ張られて、
いろいろな国へ行きました。
子供たちはもうあまり覚えていませんが。

そういう意味では主人に感謝の念が湧いてきます。
今、主人の容体が急変することはないので、数泊数日でのんびりどこかへ行ける環境ではあるのですが、他のことで忙しくしてしまっています。

じっくり振り返るのもいいことですね。
らら
2019年08月18日 15:13
Yさんもいろいろな国へ行かれたのですね。
そうですね。感謝ですね。
夫も私も在職中は、長い休暇が取れなくて、夏の運賃の高い時期になって不満に思った時もありましたが、こうなると「後で」と言わず行かれる時に行って良かったと思います。

Yさん「他のことで忙しく」できるのも良い環境ですね。